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少女熟成中...1

 おはようございます。みなさん積読してますか?私は何十冊かしています。実家に帰ると何百冊かしています。
 そのなかには当然「読まねば」というものもたくさんありますが、もはや骨董のようになっているものもあります。ただいずれにせよ「捨てていない」という事実もあるわけで、結局何かしらの意味があると信じているからこそ残っているのでしょう。
 先日ゆる言語学ラジオの水野さんが「積読は発酵する」みたいなことをおっしゃっていたの(引用かも?)ですが、きっと私もそんな思想にふかく共感できる積読徒のひとりです。

 さて、今日はこれをふまえて、あるものが時間をかけてより良いものへ変わってゆく、そうしたことに注目したいと思います。

熟れる、熟す、熟れる

 まずは「熟」という単語の訓読みを考えてみます。無難な所なら熟(う)れる、熟(こな)すあたりでしょうか。ちょっと難読だと熟(な)れるとかが思いつくかと思います。しかし、字引きを使ったらまだまだありました。熟(に)る、熟(こな)れる、熟(つくづく)(←コレヤバいよね、見たことねえわ)…。
 …見習いがいっちょ前に知識を披露したつもりになりすみませんでした。と、まあとにかくめっちゃ読みがあるんですが根っこの意味としては「発展する」「完全になる」みたいな意味で間違いないようです。それは視点を換えれば、前後という認識があり、前よりも後の方が良い方向に転化しているというプロセスを明確に了解しているということになります。未「熟」から成「熟」への跳躍が内包されており、その意味では①熟しているという結果、②熟す前の(良くない)前提、③良くなってゆく過程の3つともを秘めた言葉こそが「熟」であると言えます。たった1語で3方向に意識を向けられる、めっちゃオトクな言葉ということになります。

 ほかにもこうした表現はたくさんありますよね。まず「熟」と同じような言い回しはメジャーでしょう。「いっそう」「打って変わって」「今度は」なんかが思いつきます。どれも「前は~だったけれど、今は~である」という比較です。次に、類似物を同じ軸で比較するときにも用いられます。英語の比較級と同じ論理ですね(Jonathan can swim faster > Joseph can swim fast → Jonathan can swim faster than Joseph can swim fast(省略)のやつ)。「アメリカは」「彼とは違って」みたいなやつです。
 いずれにせよ、比較をすることがミソです。このネタは受験現代文なんかでよく出てくるので、その意味でもおさえておいた方が良いです。

 さて、そうすると次に気になるのは、「熟」が起こる条件は何なのか。発酵と腐敗の違いはどこからくるのか。それは人間にとって良い影響があるかどうかです。
 これと同じように考えると、熟成と劣化はどこで変わってくるのでしょうか?というわけで、今度はあるなしクイズみたいに例を挙げながら「熟」の特性を探りたいと思います。つづく。


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