フィールドへの道

 気づけば4月になりましたね。本州は花粉がヤバいヤバいので逃げてきました。今月はそれほど多忙でもない(予定な)ので、積み本でも消化しようと。あとは、今年のフィールドワークを見据えて人類学の勉強を本格的に進めようかなと思ってみたり。
 ただ、昨年度まったく思うように研究らしいことができなかったため、人類学に注力すべきかはたまた他のところに浮気して視座を増やすか、なかなか模索中です。自分がこの分野に向いているのかも、おいおい考えねばなりませんね。

フィールドノート

 人類学をやってる人間はたいがいフィールドに赴きます。そこではジモティーと同じ暮らしぶりをすることではじめてわかることに注目し、単に文献や伝聞から得られる情報を超えた知識を「体感する」わけですが、当然そのすべてを覚えていられるわけではありません。したがって、現地で見聞きしたことを忘れないようにフィールドノートを残しておくことが重要です。
 ただ、このフィールドノートというのが意外に厄介です。日記のようにその日の出来事と感想をメモっていくものの、私のように筆不精な人間からすれば日記を書くこと自体が億劫なのです。むろん言葉は脳内に浮かぶものの、考えるー書くに大きな隔たりがあるのです。

 あるいは、感情をコトバにするというところに第二の関門があるのかもしれません。人は何かを「感受する」とき、必ずしも「嬉しい」「悲しい」という基本的な表現に落とし込めるわけではありません。(純粋経験ではないですが)未分化された経験ー感覚のつながりの中で自然に立ち現われてくる情動があるはずです。言い換えれば、すぐに言葉にできないことを味わうためにこそフィールドでの経験があると思います。
 したがって、フィールドで感じたことをなんとかして言語化しようと苦悩することは重要ですが、それを焦って使い古された、くたびれた表現に当てはめてしまうのは危険なことなのです。私自身、昨年度は当てはめのドツボに深くはまってしまいました。
 とにかく、「メモを残しておく必要がある」「言語化を焦ってはならない」というダブルスタンダードに挟まれてフィールドノートが残せなくなってしまうことはよくあることだと思います。

 しかし、そうした状況に対してただ手をこまねいているわけにはいきません。ひとまず何か、書き始めねばなりません。筆不精といえど永劫どうにもならぬものでもなし、少しずつ書いてみましょう。日々移ろうよしなしごとを、ごくくだらないあり方で、連ねていきましょう。ハビリテーション(habilitation)として、綴方の練習をします(以前に同じようなことが出来たためしがないためけしてハビリテーション(REhabilitation)とは言えません笑)。
 なるだけ、細く長く続きますよう。

「経験の無毒化」

 『ラディカル・オーラル・ヒストリー』という本を読み直しています。保苅実という歴史学者の作品ですが、界隈ではかなり有名でしばしば言及されます。
 前に読んだのはちょうど1年近く前で、当時とは刺激を受ける箇所も実体験に基づく感想もだいぶん異なっています。ただ少なくとも、人類学を触る価値というか、固有性みたいなのが自身の裡で曖昧になっている現状をふまえて読んだ方が実感も実用も大きくなると考えるのが自然だと思います。

 今日再び冒頭から読み進めて、覚えているところ・すっかり忘れてしまったところがたくさん見受けられましたが、身につまされるような箇所も間々ありました。例えば以下の通り。

 ともかく、歴史学者たちが史実性の呪縛から解放されない限り、ケネディ大統領がグリンジの村に来たっていう歴史は、歴史学者によって排除され続けるでしょう。これに対して、「僕たちは排除しないよ」っていうグループがいくつかあります。典型的には、記憶論をやっている人たちです。あるいは、人類学が中心ですけれども、神話論というのも昔からあります。記憶論や神話論をやっている研究者たちは、たしかに排除しないんですけれど、そのかわり包摂しちゃうんですね。別の言い方をすると、記憶論や神話論は、アボリジニの人たちが実際に経験したという、その経験を無毒化してしまう。経験の無毒化とはどういうことかというと、要するに、「それは事実じゃないけれども、でも、それはそれとして重要ですよね」って言って、とにかく掬いあげるわけですよ。事実じゃないんだけれども、何かそこには大切なものがあるはずだと言って掬いあげる、あるいは、尊重する。でも僕はこの、「掬いあげて尊重する」という行為の政治学を問題にすべきだと思います。

pp. 25-26 (強調ナリカワによる)

 以降の段落では「尊重するとはどういうことか?」(p.26)と評論が続いていくわけですが、がんばって学習する「文化相対主義」「脱構築」みたいな観念がまだまだ不純物まじりの理念であることが端的に暴かれます。
 というのも、①自文化中心主義(自分の属している文化は他の文化よりもスゴい!野蛮で未開な文化を従え、発展させてあげよう)から②文化相対主義(自文化も他文化も地域や歴史的文脈の中で純化してきたもので、優劣とかはない!)にシフトしたのが近代の大まかな流れです。これは大いに良いことであろうかと思うのですが、この考え方が人口に膾炙するいっぽうで上っ面の相対主義を信奉する人々も増えたのではないか、保苅は言外にそう意味しているように思われます。
 すなわち、他文化に歩み寄ろう・相対化しようという意識の裏側にあくまでも「自文化が正しい」という前提があり、異文化を信じるのではなく(=そこで語られることは畢竟事実ではないけれど)そういう人がいるという受け容れ方をする人が多くいるのではと鋭く指摘しているわけです。

 フィールドでは信じている風な顔をしておきながら(あるいは現場で痛感し本当に信じている場合も多くあると思いますが)、帰ってきたらまた自文化が優位な生活に回帰してゆく…。そういった状況を指して、「所詮は皮相上滑りの相対主義である」と批判されても文句は言えないと思います。
 ですが「あなたの経験を深く共有することはできないかもしれないけれども、それがあなたの真摯な経験であるということは分かります。だから、あなたの歴史経験と私の歴史理解とのあいだの接続可能性や共奏可能性について一緒に考えていきましょう」(p.27)という姿勢はけして不可能ではないと保苅は述べています。
 これもまたフィールドノートの話のように、「異文化における事実」「自文化における事実」という二重性の狭間で苦悩しながら考え続ける必要があります。②文化相対主義から③???主義(異文化で事実とされていることをまさしく受け入れ、しかし特定の時間的・空間的文脈だけに留まらない考え方として他文化との比較に位置づける)への超克が必要となってゆきます(すでにそーゆー主義あるかもだけど)。

 まあ、このようなことを書いてゆこうかと思います。分量も文体も流動するでしょうが、せいぜい、ちょっとだけ無理していきましょう。

引用文献

保苅実 2005『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』御茶ノ水書房.

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