見出し画像

不登校だった娘が大学生になった話し

娘、小学校2年生の夏休み。
酷い腹痛が続いて、夏休みが明けても良くならず、そのまま不登校になった。

不登校の原因は一つではない。
私が習い事で厳しくしていたせいもあるし、兄弟が生まれたばかりのお友達から、不安定さゆえのイジワルもされていた。

赤ちゃんの時から敏感な子で、よくキーキーと泣く子だった。敏感で繊細な子を、無神経な私が育てたせいに他ならない。

過敏性胃腸炎という診断を受け、何年か酷い腹痛と下痢に悩まされた。ほとんど寝たきりのような生活を続けながら、長引く症状に児童精神科のお世話にもなった。

ようやく、症状が緩やかに落ち着いて、散歩にも出られるようになってきたのは小学校の高学年。

何かきっかけになれば、と隣の小学校に転校させてみたりもした。
穏やかで声掛けの上手な先生がいた事もあり、学期の節目には登校できたりもした。

そのまま中学校に進学したが、引き続き不登校は続いた。
三年間で学校に通えた日は本当に数日だったが、親子で学校の先生方には大変お世話になった。

高校は渋谷にある通信制の高校。
月数回あるスクーリングに通いながら、毎日、オンライン授業を受け課題をこなし期日までに提出し、順調に単位を取っていった。

4人に1人しか卒業できないという、厳しい通信制で、きっちり3年で卒業した。

大学は学校の先生と相談しつつ、でも娘の特技を考えて、私の思う希望を強めに押して、指定校推薦で美大に決まった。

ちょうどコロナが流行り出した頃、高校の卒業式が行われた。
とても簡易的だったし、未知なるコロナウィルスに怯えながら短時間での慌ただしい卒業式だった。感傷に浸る間もなく、三年間は終わった。


卒業式の帰り道、渋谷駅近くのオムライス屋さんで娘と元夫と3人で昼食をとっている時、4月からこの娘も大学生なんだなーと、何とも不思議な気持ちになった。

私は小学校から高校まで、学校を欠席した日数なんて10日もないほどの健康体だった。元夫もサッカーと音楽に明け暮れた楽しい学生生活を送ってきたそうだ。しかし、私も元夫も大学には行っていない。

対して娘は、学校に通った日数は小学校から高校まで足しても2年にも及ばない。…こんな条件でも大学に行けるんだ。

今は少子化もあって、大学の門戸が大きく開かれ、入試も色んな制度があって入学しやすいんだろうな。今の子たちは恵まれてていいなー…なんて羨ましく思っていた。

しかし、
娘は不登校中の小学生から高校生まで、公文式で国語•算数•英語を学んでいた。性格が真面目な事もあって、コツコツ続け、また同時に近所の個別塾で数学やその他の教科を教わっていた。

その結果、大きく遅れていた勉強は、高校1年生頃から追いつき始め、2年生の頃には主要教科は学年相当まで追いついていた。そして学校推薦に必要な基準もクリアしていった。

果たして、私や夫はそんな努力をしていただろうか…。私に関しては否だ(多分、元夫も同じだろう)。

大学をゴールとすると、道のりが違うだけで、辿る努力をしていたのは娘の方だ。

納得すると共に一層、よく頑張ったと誇らしい気持ちになった。

不登校の娘が、大学にきちんと通えるか…これは大きな課題であった。幸いコロナ禍という事でリモートメインの授業からのスタートだったことが、いい慣らし期間となった。大学3年生になってからは学校に通い、友人達と程よい関係を保ちつつ学校生活を楽しんでいる。

さて…次のゴール設定は卒業後の進路問題。また一緒に考えさせてもらえたらいいなーと思う。

☆*:.。.
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます(^^)♡
:..。.:*☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?