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『それでも僕はここで生きる』 #6 ある日の午後

6.ある日の午後
 短い午睡を終え、眠い目をこすりながら僕は土曜日の午後を始めた。「俺は土曜が一番好きなんだ」昨日松下が言っていたことを思い出す。「土曜日…」僕は曜日だとか、記念日だとか、そう言ったものに執着しない。そんな性格だ。松下が何を意図してそんなことを僕に言ったのか、考えてみた。だが、わからない。何か重要な命題なのかもしれない。そう思った。だが、解決する前に電話がかかってきた。僕はハッとさせられ、受話器を取った。「………」相手は黙ったままだ。電話が切れる。また沈黙が訪れる…。 
 僕はふと気がついて公園に向かった。昨日電話の女が指定した公園だ。
 早く行かなければ。僕は自然とそう思っていた。いや、何かにそう思わされているのかもしれない。
 公園に着くと、僕はあのベンチに向かった。
「誰もいない…」 
僕はどこからともなく現れた絶望感に取り憑かれて動けなかった。
気づくと辺りは真っ暗になっていた。長いこと寝てしまっていたようだ。
「起きたみたいね、遅いわ。」
 あの女だ。僕に結婚を申し込んだ。あの女。
「私のこと、覚えていてくれたのね」女はいつも通り僕に向かって語りかける。
覚えている。当たり前だろう。僕は心の中でそう思い、口に出しかけたが、やめた。
「嬉しいわ」女は僕の心の中を見透かしているかのように言った。
 僕は急に懐かしい気持ちになった。どうしてだかわからない。だが、とても、とても良い気分だった。
「わからない」僕はそう言葉に出していた。
 「わかるわ、その気持ち」
 「え? ごめん、その… 違うんだ」僕はとっさに誤魔化していた。何故誤魔化すんだ。
女に全てわからないことを聞けばよかった。
 女はいつものように無言で立ち去った。
 雨が降っていた。僕は気づいていなかったのか、すでに少し濡れていた。「不思議だ」
本当に不思議だった。あの女が何を意図しているのか、僕はなぜあの女に心を許すのか。
あの女はなぜ僕の居場所を知っているのか。

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