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ショートショート  『暗闇の火群(ほむら)』

「アイマスクをくれ」
車椅子に座った男は使用人に要求し、いつものように黒いアイマスクを装着した。さらに、彼の耳には既に耳栓が嵌(は)められていた。
彼は生活をしている時はほとんどの時間、アイマスクをして過ごしている。彼は物書きで、毎日執筆活動に勤(いそ)しんでいた。しかし、彼自身が文字を書いているわけではない。彼の発した言葉を使用人が文字に書き出しているのである。
彼は特に耳が悪かったり、目が不自由なわけではなかった。それなのに彼はどうして耳栓をしてアイマスクを着用しながらわざわざ生活に制限をかけているのか、人は疑問に思うかもしれない。彼は繊細すぎるのだ。彼は自らの目に入ってくる情報を制限することによって自らを守ろうとしているのだ。
彼は外出の時もアイマスクを装着していた。
その日、彼は講演会の会場に向かっていた。彼は世間的には売れっ子の小説家であったために、講演会の依頼がたびたび舞い込んでくるのだった。彼は使用人に導かれて講演会会場に入った。彼は一向にアイマスクを外す気配を見せない。そうしているうちに打ち合わせが始まった。
使用人は、男をミーティング室に案内し、その日の講演会のスタッフたちに彼がなぜアイマスクをしているかなど詳細を話し、そのままの状態でミーティングに参加することを承認させた。彼はミーティング中には耳栓を外していたため、会議は何の支障もなく進行した。
ミーティングが終わり、講演会が始まった。講演会中にも、彼は耳栓をしておらず、彼の経歴や、執筆する時の心構えなどを時間通りに語っていった。彼は講演会に慣れているためか、聞き手を惹(ひ)きつけるような話し方をするのが上手であった。
講演会の最後には質疑応答の時間が設けられていて、それは講演会に出席している客が手をあげて、司会がそれをあてて質問が開始されるというオーソドックスな仕組みのものであった。
質疑応答は何事もなく流れていくかと思われた終盤、ある質問者が男に
「なぜアイマスクをしているのですか」
と質問した。
男は事情を話す気はないと素っ気なく答えた。

彼は世の中がどうなっているのかを知る術を持たなかった。今、世界では様々なことが起こっており、彼の身の回りでも、日々、状況が変化しているのに、彼の耳には愚か、視覚情報としても入ってこなかった。彼は情報をシャットダウンして、世界とつながることをやめていたのだ。
彼がアイマスクをし始めたのにはある些細な契機があった。彼はS N Sを使って情報を集めたり、発進したりするのが元々好きであった。しかし、人気になるにつれ、その代償としてなのか、様々なS N Sで彼についての誹謗中傷コメントが相次いで投稿された。最初は彼も見逃していたが、次第にその数の多さに疲弊してしまい、彼は精神を病んでしまった。精神を病んだ彼は情報をシャットダウンすれば気を病むことも無くなると考え、信頼のおける使用人に全ての雑用を任せ、自らを世界から隔離した。

講演会から一週間ほど経過したある日、あるS N Sで、彼の講演会に出席したと思われる人のアカウントが、彼の講演会での質疑応答について言及した。
「あの小説家にアイマスクをしている理由を聞いたらキレられたわ」
この投稿が次第に拡散され、男に関する様々な嘘の悪い情報も広まっていった。が、使用人は男にはそれを伝えず、男は何も知らないまま生活をしていた。

S N S投稿から数日後、男に対する殺害予告が投稿された。男の使用人は、その投稿を見て、絶対に男には知られてはならないと思った。しかし、警察に通報したり、誰かに相談したりしたら、何らかの拍子に男の耳に入ってしまうかもしれないとも思い、使用人は一人で大きな悩みを抱えた。
殺害予告は毎日のように投稿され、次第に世間でも話題になりつつあった。しかし、使用人はそのことを誰にも相談できないでいた。使用人の悩みは日に日に大きくなっていった。

ある日の深夜、男の住む家に何者かが火をつけた。彼は慌てて寝床から飛び起き、貴重品を持って、家を出た。火は消し止められ、男は無事だった。

後日、放火の犯人は逮捕され、講演会で男に質問した人間であったことが明らかになった。使用人は、男を守れなかったことを恥じ、仕事を辞める決意をした。しかし、男は彼の仕事を高く評価しており、その上、彼の悩みなど知らないため、彼を慰留した。
使用人は、断りきれずに仕事を続けることにした。だが、日々の仕事の中で、男に知らせてはいけないことが増え、悩みは大きくなるばかりであった。彼は耐えきれなくなり、とうとう遺書を残して自殺してしまった。

使用人の死の翌日、彼は使用人の出勤が遅いことを不思議に思い、電話をかけた。当然のことながら、電話には誰も出なかった。不審に思った男は使用人の家に行き、安否を確認したが、使用人は出てこなかった。男は警察に連絡し、後に、使用人の死を知った。
使用人の家からは日記が発見された。使用人が毎日つけていたものだった。その中には、男の付き人としての仕事の中での悩みが記されていた。
この記述を見た男は、使用人に対する罪悪感を痛烈に感じた。自らの精神の混迷から救い出してくれた使用人を、自らのせいで精神を病ませ殺してしまったことを痛切に恥じた。

彼はその後、世間への恐怖から、執筆活動が不審に陥り、次第に人気も落ちていった。そして世間の目の圧は、余計に彼の背中に重くのしかかった。

男は、使用人の日記を読み返した後、自室の書斎にそれを収めた。目につくところに置いておかなければ、この過ちを忘れてしまうと思ったからだ。だが、男はそれから頻繁に夜中に目が覚めるようになった。半年ほどその症状に苦しめられた末、彼はその日記を燃やしてしまうことにした。
燃え盛る火群を見ながら、男は涙した。
「私が殺した。私がつけた火で私が焼き殺したのだ」
彼はそう呟いた。

炎の中の日記はあっという間に燃え尽き、その灰は北風にさらわれて舞い上がった。彼は火が消えた後に残った灰を瓶に詰めて、自らの書斎に置いた。

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