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千葉市立郷土博物館(千葉県千葉市・本千葉駅)

東京都の隣にある千葉県。つまり江戸川を越えればそこは千葉の地である。近い。かなり近い。ということで普段あまり訪れることのない千葉県へと足を踏み入れてみる。千葉県の中心地といえば千葉市。ここも近いだろう、と高を括って訪れてみた。遠かった。船橋や浦安ならともかく、千葉市となるとそれなりに遠かった。千葉市立郷土美術館は千葉駅から一駅先の本千葉駅から歩いて行ける距離にある。なんと山の上にそびえたつ城がその郷土博物館である。

こちらは城を博物館にした、というわけではなくて、もともとこの地にあったという豪族・千葉氏の居城を模して城のように作られた純粋な博物館施設である。熱海城みたいなものだろうか。入口から広がっている中央階段の裏側にある1階の展示室では、NHK大河ドラマに併せて、源頼朝を支え千葉城を中心に勢力を持っていた千葉常胤の紹介や、鎌倉幕府の御家人との関係や、当時の武士の食事なども紹介されている。

ギャグみたいなご飯

階段を上がった2階ではその千葉常胤の木像が構える中、中世武士を中心にした展示を行っている。武士といえば刀剣と甲冑。数多くの武具が展示されている他、火縄銃なども展示されている。城の形状をしている博物館と相まってその雰囲気は抜群。また天文資料も展示されている。もともとプラネタリウムがあったことによるものだろうか。

天文関連の資料も豊富

3階では千葉氏を中心とした歴史を紹介している。桓武天皇の血を引く平氏が関東に下向したことから土着し、千葉氏はその子孫にあたる。つまり平将門や平清盛は千葉氏の遠縁にあたるわけである。平安時代の半ばにはその平将門が関東で反乱を起こし、関東武士は支持する者も多かったものの乱はやがて鎮圧、関東には色々な将門伝説が残ることになった。博物館のそばにも影武者七人の塚と伝えられる七天王塚があったりもする。

鎧もいっぱいあるでよ

その後も平忠常の乱を経て生まれた千葉氏は歴史の色々な場面に立ち会い、源頼朝の挙兵に従い、元寇や南北朝、永享の乱といった歴史に登場、戦国時代には北条家と手を結んだ結果、北条家の滅亡と運命を共にしている。千葉氏は妙見信仰という、北極星や北斗七星を神とした中央アジアの遊牧民に信仰されていた宗派を手厚く保護したそうで、そのことについても併せて紹介されている。

妙見信仰についても割と展示スペースを割いている

4階はさらに時代が下ってからの千葉について。江戸幕府が倒れた後に発生した戊辰戦争では千葉県域の多くは旧幕府領が多かったため旧幕府側として明治政府と戦いを繰り広げるも敗れ、千葉市城下には多くの明治政府側の兵が流れ込んできたという。やがて肥前佐賀藩や筑後久留里藩、熊本藩の人物が統治するようになる。いくつかの地域の合併を経て明治6年に千葉県が発足、最初の県庁が千葉神社を経て現在の中央区へ設置されたことから次々と官庁が周辺に建てられたことによって現在の千葉駅周辺の繁栄へとつながっている。農地の開墾や軍の施設、工業地帯の乱立などを経て政令指定都市へと移った千葉市の歴史が学べる。

古代ハスという明るいニュースもあったらしい

高台にあり城を模した千葉市立郷土博物館、博物館でありながら5階は展望台となっている。その景観の良さは抜群で、天気が良ければ富士山まで見渡せるという。あいにくその日は曇天というか台風の襲来が噂されている時期だったのもあって遠くまで見渡すことはできなかったものの、無料でこの景観をほぼ人がいない(見学者は5人くらいしかいなかった)という最高のシチュエーションは味わってみないともったいない。

城から眺める絶景

ちなみに1階から5階へは階段で上るのが時代の流れとしては妥当な順路だけれど、エレベータで一気に5階に上がってから徐々に下りてみるのも良いかもしれない。トイレは1階が和式と洋式、4階が和式のみ。古い施設だしそんなものかな、と思っていたらこの後に訪れるミュージアムも軒並みウォシュレット機能が無い場所ばかりで驚くことになる。

顔はめパネルもいっぱいあるよ

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