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宮城道雄記念館(東京都新宿区・牛込神楽坂駅)

大人の隠れ家こと神楽坂。住宅街の一角にひっそりと建っているのが宮城道雄記念館である。お正月になると必ず流れてくる箏曲『春の海』を作ったことで知られている。日本における音楽家の記念館としては最初に建設されているミュージアムでもある。

日本で正月を迎えていれば必ず耳にしている楽曲である『春の海』。よくよく考えてみると、世代を問わずほぼ全ての国民が知っている曲を作っているというのは極めて稀で、しかも盲目というハンディを抱えた人物だというからさらに驚く。

正面すぐには宮城道雄の肖像画とともに、交流のあった内田百閒とのエピソード(百閒も箏を愛用した他、宮城道雄の随筆『雨の念仏』は百閒が「目明きの知らなかった自然の神秘と啓示に導かれるであろう」」と紹介している)、弟子として養女となった宮城喜代子と数江の姉妹についての紹介および、和声などの研究のために愛用されていたピアノが残されている。

庭にある宮城道雄像

展示室は二つ。メインの展示室ではまず宮城道雄が愛用していた箏「越天楽」が展示されている。また朝倉文夫による胸像も。楽聖と呼ばれた宮城道雄は特に音楽や芸術の血筋ではなく、幼い頃に目を患い七歳で失明し中島検校の元で箏を習い始めたことが音楽のスタートとなっている。十四歳にして処女作『水の変態』を作曲し、それが伊藤博文らに評価されたという。朝鮮半島へ渡って演奏で頭角を表し、宮城家に養子となる形で結婚、そこから旧姓の菅から名を改め宮城道雄と名乗るようになった。またこの頃、後に無二の親友となる吉田晴風(尺八奏者)と知り合っている。晴風とは新日本音楽運動を共に起こしたり、後にニッポンノオンで自作曲をレコードとして収録している。

裏庭へとくぐり抜けた先には検校の間や録音室が

最初の演奏会では『秋の夜』『若水』『晩秋』『水の変態』を手がけ、作曲家として葛原しげる等の支援のもとでデビュー、初期は近所にある朝比奈家の2階の一室を借りて勉強部屋としたという。徐々に作曲が評価されると、葉山に別荘を買い求め生涯で420もの楽曲をしている。点字楽譜や原稿、タイプライターといったものまで揃えてあるのが展示室としては特徴的だろうか。

宮城道雄はまた様々な楽器を作った人でもある。十三絃が基本となる琴にさらに加えた十七絃や、小型の短琴、胡弓より幅広い演奏ができるように作った大胡弓を作った他、西洋・東洋どちらの曲でも弾けるようにと八十絃を発案しており、これらの実物が展示されている。八十絃ではバッハのプレリュードや自作の『今日の喜び』を演奏した記録が残っている。

第二展示室では『春の海』について故郷の鞆の浦の映像を交えながら解説された映像が流されている。瀬戸内海の船旅で桃の花が咲いている様子を聞いて作曲したという。カモメの鳴き声や櫓を漕ぐ音も曲に取り入れるように作曲したエピソードが紹介されている。なお、宮城道雄の晩年は列車から転落して死亡したとある。自死なのか事故なのかその原因は今もわかっていないが、視覚が原因でいくつか怪我をしており、誤って転落した可能性が高いとされている。

裏側にある検校の間

離れには作曲の際などに使用されていた書斎として「検校の間」が残されている。六畳の和室と二畳弱の次の間からなるシンプルな部屋ながら、秋艸道人こと會津八一の書も飾られている。こんなところにも八一。トイレは男女共用の洋式。

ここにも八一の足跡


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