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水戸芸術館&水戸市立博物館(茨城県水戸市・水戸駅)

・水戸芸術館(茨城県水戸市・水戸駅)
水戸市というと江戸時代は徳川御三家の一つとして、水戸黄門こと徳川光圀をはじめとした代々の藩主によって治められ、文化芸術の町としても栄えた地である。その気風を受け継ぐべく小澤征爾を初代館長として造られた水戸芸術館。コンサートホールや劇場、美術館などが集合している文化施設である。設計は磯崎新が手掛けており、水戸市を象徴する塔も見どころの一つ。

水盆が突如として噴水に早変わりする野外展示

トラス構造を意図して造られた塔は真っ直ぐではなくさまざまな角度に変形しながら屹立している印象的な形をしている。遠くから見てもわかるくらい独特な形をしていながら、この塔には展望室もあり、地上階から展望室までエレベータ直通で上ることができる。コンパクトな展望室には丸い小窓がランダムに配されていて、そこから周囲を見渡すと水戸市全貌が視界に入る。天候によっては富士山も見られるという。内部構造もさまざまな角度で構成されているため、目の錯覚で平衡感覚が狂う体験も。トイレは地上階にありウォシュレット式。

この塔の中に入れる
展望室はもう何が何だか

水戸芸術館のミュージアム機能を持っている現代美術ギャラリーでは季節ごとに企画展を開催している。その名前の通り、割と現代作家によった展示が多く展開されている。階段を上った2階部分が展示室となっている。展示室はいくつかの部屋に区切られており、小さな部屋が随所にあったりコリドーのような場所があったりと個性的。今回は二人組のユニットとして主に活動している山下麻衣+小林直人による「他者に対して、また他者と共に」という企画展を開催。

水戸芸術館の中 左手に現代美術ギャラリーがある

作品にキャプションがなく、その代わりに紙ベースで配布される作品リストに詳細が説明されているという形をとっている。そのため作品のメッセージを理解するためには作品リストが手放せない。現代アートにありがちな、鑑賞者に考えさせる作風は刺激的である反面、作家の自己表現の満足で終わってしまうという欠点を考えると、もう少しメッセージがわかりやすい方法で入手できた方が親切かもしれない。今回の企画展だけかもしれないけれども。

キャプションが無いのが今回の特徴
観るものが考えるのは面白い
砂鉄を集めて作ったスプーン

テレパシーと称してそれぞれが書いた絵を見せ合う作品(1000枚中10枚が成功)だったり、左右からボーリング大の飴を舐め合って普通の大きさの飴にする、といった作品だったり、共同作品には互いの信頼関係がないと成り立たないような作品が多い。おそらく二人が夫婦だからこそできる作品なのだろう。基本的には共同で世界中の色々な場所へ出掛けて作品を手掛けており、中には大きなインスタレーションも点在する。トイレはウォシュレット式。

テレパシーで一致した絵の数々
A HENな飴玉

・水戸市立博物館(茨城県水戸市・水戸駅)
水戸市を担っている郷土博物館施設としてあるのが水戸市立博物館で、歴史を紹介するのと同時に、水戸市の自然についても取り扱っている自然博物館のような特色も備えている。そのため、通常こういった施設の見学者は年齢層が比較的たかいのに対して、割と親子連れだったり子供だけで訪れたりということもある。図書館が隣接しているのも理由の一つかもしれない。

水戸市立博物館 謎のオブジェが点在する

フロアは全部で4階まであり、2階は民俗と歴史、3階は自然、4階は人文・芸術といったかたちで切り分けられている(1階は事務室)。訪れた際には企画展「そらとぶいきもの大集合」と題して、子供の層に向けた自然・生物を中心とした展示が開催されていたため、2階と3階がほとんどその展示として使われていたのは個人的には少し残念なところ。

これは3階の自然エリア

2階でまず出迎えるのは民俗展示。特に近代から昭和の時代にかけてよく使用された生活用具を展示している。奥には近世以降の水戸市についての歴史(水戸空襲なども)を扱っている。3階は水戸の古代について少し触れた後は水戸周辺に生息する動植物についての紹介が大半となっている。フロアの半分は企画展。4階はフロア全てが企画展として使用されており、本来はこの階に人文や芸術が展示されているのだろうけれど装いは一掃されている。展示時期によって内容はだいぶ変わる様子。

民俗展示は近代が中心

個人的に興味深く見たのは、2階の奥にある歴史に関する展示コーナー。水戸市は水戸徳川藩のお膝元ということもあり当然ながら水戸城は外せないが、特に今回は幕末に焦点を合わせて展示している。ペリー来航をきっかけとした諸外国との立ち回りや幕府の存在意義、そしてやがて訪れる尊皇攘夷・倒幕運動の発端は水戸藩から始まったといっても過言ではない。

水戸城の模型もあります
桜田門外ノ変も水戸藩が深く関与する

初代藩主の徳川光圀をはじめとして長きにわたり独自の水戸学を学んできた水戸藩は幕府よりも尊王を中心とした思想へと先鋭化しており、国に害を及ぼすであろう外国(と幕府の中心)を排除する攘夷の尖兵として桜田門外の変や水戸天狗党の乱を起こしている。しかしその過激すぎる思想に幕府は危惧を抱き、首謀者である藤田小四郎や武田耕雲斎をはじめとした参加者を鰊蔵へ幽閉して処刑する、という悲劇を迎えることになる。結局、天狗党の乱によって多くの有志を失った水戸藩はその後の倒幕運動の中でも目立った活躍はできずに明治を迎えることとなった。

水戸天狗党の乱

トイレはウォシュレット式。歴史に大きな動きを与えるきっかけになったものの、後世には「水戸黄門」に匹敵するような人物を輩出できなかった水戸藩ではあったものの、その歴史の流れを知ることができるのが非常に興味深い。ただ博物館に来て三種の神器(土器・板碑・石棒)を探すのが楽しみの一つでもあったので土器どころか石片のみの確認に終わってしまったのは物足りなさが残る。いつか水戸に再訪した際に観られればと願うところ。

戦時中には空襲にも見舞われた
あと海で泳いだ


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