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新選組関連その2(日野宿本陣/日野宿交流館〜井上源三郎資料館〜とうかん森/石田寺〜高幡不動 東京都日野市・日野駅/万願寺駅/高幡不動駅)

ちょうどゴールデンカムイも最終回を迎え新選組関連の情報も多く流れるようになった本日。来週からは新選組まつりも行われるが混雑が予想されるためGWに先立って日野の新選組関連を攻略。前半は以下にて紹介。今回は後半戦。ひたすら歩く。

・日野宿本陣/日野宿交流館(東京都日野市・日野駅)
かつて日野の中心地であった甲州街道沿いの日野宿。日野宿本陣が現在も残されており、こちらは見学することができる。新選組のふるさと歴史館とセットでチケットを購入することもできるので一緒に回るのが得策かもしれない。かなり歩くけれども。

日野宿本陣は新選組のメンバーとも交流が深く自らも試衛館の門人だった佐藤彦五郎がかつて住んでいた家であり、同時に大名だったり明治天皇が寄ったこともある宿場。スタッフの方による日野宿の説明もあるのでついでに話を聞いてみる。

まあ古民家よ

古民家を開放している形の見学形式なので特にキャプションがあるわけではないため、説明で初めて知ることのできる情報もある。
たとえばかつて玄関として使われていた場所の隣にある十畳の部屋。こちらでは土方歳三がよく寝転んでいたというエピソードがある。実際にどのあたりにいたのかは不明ながら、歴史の一端を感じることはできるかも。

この部屋のどっかで寝転んでた歳の字

また奥にある控えの間は、函館から土方の遺品を持ち帰ってきた市村鉄之助を2年に渡って匿っていた部屋がある。新選組の隊士を匿っていたということから周到に隠匿されていたという。かつてはこの敷地には佐藤道場もあり、日野時代の近藤勇などが出稽古に赴いたりしたという。

この部屋のどっかで匿われていた鉄の字

トイレは「雪隠」とまた洒落た名前になっている。洋式。
家屋の一部は解体され、現在は有山家(養子に入った佐藤彦五郎の子)の家屋として移築されている。現在は日本家屋の面影ではなくて近代洋風建築として甲州街道沿いに残っているので、外観のみだけれど見てみるのも良いかもしれない。

甲州街道沿いに突然でてくる洒落た家

日野宿本陣から甲州街道を挟んだ向かい側には日野宿交流館がある。こちらは2階が資料室になっていて日野宿に関する資料が展示されている他、新選組に関する資料も少しある。

休憩所を兼ねているため、ここを拠点にして各所を回るというのが賢いやり方ですかね。少なくとも半日ぶっ通しで全て回ろうなんて思っちゃいけない。トイレはウォシュレット式。

日野交流館の2階にも少しだけ展示


・井上源三郎資料館(東京都日野市・日野駅)
日野宿本陣から近い場所には新選組の井上源三郎資料館がある。住宅街の中にあり横道に入る形ではあるけれど旗が立っているのでわかりやすい。というより開館中にはイメージソング?が流れていて目立つのですぐにわかる。
こちらも一般住宅を開放した形での展示で1フロアながら天然理心流に関する資料を中心とした展示で充実している。館長は井上源三郎の兄である井上松五郎の子孫にあたり、天然理心流の日野道場を現在でも開いている。資料館の2階が道場となっている。

なかなか目立つ外見をしております 2階が道場

訪れた際には実際に館長が控えており、質問すれば答えてくれるかなりユーザーライクな博物館。基本的に新選組関係のどこの資料館も多忙でなければ質問に丁寧に答えてくれるスタンスなので嬉しい。
こちらの展示品の目玉は『大和守源秀圀』で、近藤勇から井上源三郎の兄・松五郎に送られた刀。刀身も公開されている。京都にある土方歳三の刀と同型であることにも注目したい。つまり土方が愛用した刀の型が3つ、徒歩で行ける距離に一堂に介している。

井上松五郎は八王子千人同心という八王子地区の治安活動を勤めた武士たちの一人で、弟の源三郎と同様に天然理心流で免許を取得している。試衛館メンバーとも当然ながら交流が深く、弟と息子の泰助が新選組と活躍している他、自らも京都へも将軍家茂の警護として上洛している経歴を持つ。資料館でも新選組の資料の他に八王子千人同心についての説明もなされている。館長が井上松五郎の子孫というのもあり、今まであまりスポットの当てられていない八王子千人同心を識る上での手がかりにもなる。

隊士関連の資料館は基本的に館内撮影できないので現物を見てね

館内には土方歳三から井上松五郎に宛てられた手紙などの他、井上源三郎が受けた天然理心流の免許が展示されている。また井上家が沖田総司との親戚関係であることも興味深い。土方歳三と佐藤彦五郎といい、試衛館メンバーは血縁でもつながりがあることが窺い知れる。ここに来るまでは新選組のことしか知らなかったのだけれど、新徴組や八王子千人同心など幕末の日野にはさまざまな武士がいたことがわかる。

屋外では修行で使用していた木刀と同じ重さの木刀を実際に持つこともできる。かなり太くて重い。これを素振りしていたとなると相当な筋力がついていたことが想像できる。トイレは無し。

振っていいよ重いよ


・とうかん森/石田寺(東京都日野市・万願寺駅)
ほぼ全ての新選組に関連する資料館は訪れたので引き返そうと思ったが、まだ時間はあるしせっかく日野に来たなら土方歳三の墓参りもして行こうかなと思い立ち、甲州街道駅まで幽鬼の如く歩いてそこからモノレールで再び万願寺駅へ。先ほどの土方歳三資料館とは逆の方向にある。
モノレールから行列の様子が見える。早朝の段階では20人ほどだった土方歳三資料館の行列がとんでもない長さになっている。住宅街の中に収まらずに日野バイバスの方まで隙間なくぎっしり並んでいて200メートル近く。うっかり遅れて出ようものならこの行列に入っていたのだと考えると恐ろしい。並ぶ時間が遅いとせっかく並んでも閉館時間に間に合わなくなるらしい。

土方歳三資料館で配布していた案内図によれば、土方歳三が幼い頃に見て育ったであろう「とうかん森」も万願寺駅の近くにある。実際に生誕したのはこの「とうかん森」周辺(北東あたり)で、多摩川の洪水にあって現在の資料館の位置へ移転したのだという。周りにも土方姓の家が多くある。住宅街の中でポツンと木が聳えている場所があるのでそれが目印になる。

とうかん森は残念ながら倒壊の危険もありほとんどの木が伐採され、2本だけ木が残っているに留まっている。もともとあった稲荷もすでに移され名残は無いといってもいい。あれだけいた資料館の行列とは打って変わってこちらには誰もいない。看板はあるものの新選組を思わせるような説明もないため、少し寂しいけれど仕方ない。

木が2本だけで寂しい

とうかん森から近い場所には土方歳三の墓所である石田寺がある。生誕地から墓地までのフルコースである。

入口から右手にそびえるカヤの木が目に飛び込んでくる。そのすぐ隣には土方歳三を祈念した「土方歳三義豊之碑」があり身の引き締まる思いが。
石田寺は名が知られている場所なのもあって2組ほどの訪問者が見える。墓所までの案内板もあるので迷わない。土方家の墓が並んでおり、その右側にあるのが土方歳三の墓。命日は1869年の5月11日。毎年この日には参拝客が絶えないという。
新暦だと6月20日。まだここまで新選組ブームじゃない頃、新暦の命日に訪れたことがあったけれどその頃は誰もいなかった。混雑を避けるという意味ではそちらの日に訪れるのも悪くないかもしれない。

お墓はこの看板の裏 写真が飾ってあるよ お参りしてね


・高幡不動(東京都日野市・高幡不動駅)
最後は高幡不動。高幡不動尊金剛寺として古くからある場所で境内が恐ろしいほど広い。

もともと新選組の関連だけを回る予定だったのでさすがにここまで来て境内を全て回る気はなく、仁王門近くの土方歳三像と新選組両雄の碑を見て引き上げることにする。大日堂にも位牌、奥院には手紙などの資料が残されている。
日野にはなかなか来る機会もないため、せっかくだからと一気に回ってしまったものの、次回もし訪れるときは少しくらい体力に相談しないとね。

高幡不動の前にあります しれっと松平容保もいる


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