第6回 読売新聞のヨミドクターにて紹介されました。

人との出会いって不思議。

私がまだ大学生だったとき。

周囲の友達はアルバイトやサークル活動、ボランティアなど、様々な社会的な活動にも取り組んでいた。

私はアカペラで有名なサークルに入りたかった。

新歓にもいった。

サークル自体は学内で行うため何も問題なかった。

問題はサークル終了後の飲み会だ。

弱視の私は徒歩しか移動手段がない。

筑波大学は広大でみんな自転車移動だ。

私は自転車には乗れる。だが、見えないと危ないから乗っていない。

そのときは、友達にお願いして二人乗りで連れていってもらった。

毎回、人に頼まないと移動ができないのはしんどかった。そもそも、二人乗りは交通違反だし。

ということで、憧れのサークルへ入るのは諦めた。

養護施設の子どもたちに勉強を教えるボランティアにも参加してみた。

子どもが取り組んでいる問題集が見えない、周囲がざわざわしていて聞こえない。

取り組む前から気持ちで負けていた。あー、できないと。

大学生活が落ちついてきたころだった。

知り合いが都内でカフェを開店するらしくアルバイトを募集しているという情報を得た。

つくばから東京?

なんでそんな遠いところで?

そう思うかもしれないが、当時の私にとって、今もかわらずそうだがつくばと東京は大して遠い距離ではない。

おしゃれな都内のカフェ。
大好きなコーヒーだけではなく、夜はワインバーになるというそのカフェの求人はとても魅力的だった。

すぐに履歴書をもって出かけた。

そこで出会ったのが今回、読売新聞のヨミドクターで対談させていただいたのぶさんだった。

この記事の中では語られていないのだが、当時のことを振り返って

「色々な人を面接しているけど、履歴書の文字がめちゃくちゃきれいだったのを覚えているよ~」
とのぶさんにいわれてびっくりした。

履歴書の文字は当時まだ手書きできれいに書くことが大切ということは知っていた。だから、丁寧に書いたつもりだった。しかし、そのことがのぶさんの印象に残っていたとはびっくりだった。
弱視の人は細かいところを見るのが苦手なのできれいに文字を各のもにがてなことが多い。
私も今となってはきれいに文字が書けるか微妙なところだ。

このカフェでは、ホールでの接客も、厨房での片付けや簡単な盛り付けも経験させてもらった。

できなかったこととしては、レジ。

レジ、見えないし、お金間違えたら大変なのでそれは別のスタッフにお願いしていた。

あと、注文は聞いて覚えてあとでスタッフに代筆してもらっていた。

私自身は、自分に視覚障害があること、周囲のお客さんはうすうす気づいているのではないかと思っていた。

しかし、この読売新聞の記事を作るにあたりご一緒させていただいた記者さんは当時のこのカフェの常連さんだったらしく、きっと、私とも会っていたはずなのだとか。それでも全く気付かなかったというのだから驚きた。

弱視も難聴も見た目ではわからない。

だから、見間違えたり、聞き逃してしまったりすることもある。

それが仕事上のミスにつながることだってある。

しかし、このカフェではみんなが温かく見守ってくれていた。

失敗しても、
「気にしなくていいからね~」」
とさりげなくフォローしてくれる。

失敗したあとは気が気じゃない。やってしまったー!と穴があったら入りたい気持ちになる。

そんなときに周囲のスタッフが温かい言葉をかけてくれる。本当に働きやすい環境だったと思う。

声があまり聞き取れないカフェの店内でできるだけお客さんと会話しないようにしていたような記憶があるのだが、
のぶさんからは
「すごいコミュニケーション力だったよね~」
とのお言葉が・・・。

まさに自己認識と他者から見た私のいい意味での乖離。

こんなふうに、改めて過去の自分を誰かの目を通して振り返る機会なんてめったにない。

いつも貴重な機会を作ってくださるのぶさんには足を向けて寝られない。

私もいつの日か、のぶさんみたいに若者に様々な機会を作ることのできる大人になりたいと思った。

以下、ヨミドクターの記事のURLです。
プロが書くとこんなにも素晴らしい記事になるのか?!と改めて感動。
よかったらご覧ください。

前半部分
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20201007-OYTET50004/?catname=column_suzuki-nobuyuki2

後半部分
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20201007-OYTET50006/

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