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学習性無力感と合理的配慮

楽しく、カジュアルに、弱視難聴の日々を発信しております奈良里紗です。

おいおい、タイトルが全然カジュアルちゃうやん!といわれそうですが。笑

まぁまぁ、そういわず、読んでくださいな。

学習性無力感、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

例えば、ワンオペ育児で日々日々時間に追われて、忙しすぎて忙しすぎて、
「こうやって時間を作ったら?」
といわれても、
「そんなの無理!できっこない」
とトライする前にあきらめてしまうことってありませんか。

これって、実は、これまで蓄積された
「できなかった学習」の繰り返しによって脳内スイッチがはいらなくなってしまってるんですよね。

障害者の生活にこれをあてはめてみると、
例えば、勇気をふりしぼって市役所の窓口でヘルパー利用申請をしてみたとしましょう。

ところが、
「内野市役所ではできません」
などといわれてしまいます。

別件で、仕事をしようとしてみたけど、
「視覚障害のある方はちょっと難しいですね」
といわれてしまう。

さらにさらに、結婚相手を探そうと思って結婚相談所に登録しようと思ったら、
「障害のある方をお相手にという方は少ないので入会されましてもご紹介できる方がほとんどいません」
のように、やんわりお断りをいれられてしまう。

こういう社会からの拒絶反応に繰り返し繰り返しひたされることで、
何事にも挑戦しないほうが無難、
どーせ、自分には無理
という意識が形成されていきます。

これってしょうがないことだと私は思います。

障害者への合理的配慮が民間事業所でも義務化という大きな転換期が日本にもこの4月にやってきます。

なんで、障害者に配慮なんかせないかんの?と思う事業所も本音ではまだまだ多いのではないでしょうか。

私は今、障害者です。

あなたは今、健常者とよばれる立場かもしれません。

でも、それっていつまであなたは健常者というポジションにいられるのでしょうか。

あなたじゃなくても、あなたの両親、祖父母、あるいは、パートナーや友達、こどもや孫、大切な誰かが障害者という立場になること、人生100年時代ではとても身近な話題なんですよ。

ワンオペ育児のワーママが苦しむ日本より、そうじゃない国のほうがいいと思いますよね。
それと同じ。
障害者が楽しく生きる社会って、多くの人の幸せの最大公約数になるんじゃないかなー。


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