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家族になろうよ

「研究とは普遍性の探求である」
そんなことをすりこまれて育った私はいつしか「普遍性」という概念が思考回路の一部を占めるようになっていた。

小学校高学年のときに仲良くなった友達が福山雅治が好きだった影響で私もよく曲を聞くようになった。
高校生のとき、仲良かった友達とは毎日のようにコイバナを綴った交換日記の中に福山雅治の歌詞を引用していたぐらい大好きになっていた。
今は彼女はこの世にはいない。だからかな、福山雅治の曲を聞くと青春時代の甘酸っぱい恋の想いでとともに何よりも大切な友人の存在を思い出して切なくなる。彼女が生きていれば、今も色々な話ができたのにと。

私が結婚式を挙げるとき、ちょうどリリースされたのが「家族になろうよ」だった。

花嫁の手紙や入場等に使われるのが王道らしいのだが、私は花嫁の手紙のあとに両親に花束を渡すときにこの曲を流した。

ちなみに、花嫁の手紙は井上陽水の「少年時代」をチョイス。

なんで井上陽水?と思うかもしれない。笑

子ども頃、父がよく江の島に釣りに連れていってくれた。そのとき、車内で流れていたのが井上陽水の「少年時代」。私は父の影響で小学校1年生のときから少年野球チームに入っていて、一時は本当に男の子になりたいと思っていた。そんなこともあって、私は少女時代というより少年時代のほうがぴったりくると思いこの曲をチョイス。

あれから10年。

久しぶりに「家族になろうよ」と聞いていると、あのときの感動的な光景とともに、10年前の私が思っていた「家族像」と今感じる「家族像」の変化に気づく。
ときの流れとともに私の考えは変わっても、それに改めて気づかせてくれるこの曲に普遍性を感じて福山雅治の作曲力に改めて感動。確か、当時、彼は独身だった。それでも、こんな曲を作れるなんてとんでもない想像力の持ち主なのだろうと思った。

また10年経ったら、私の気持ちはどんなふうに変わっているのか楽しみが1つ増えた。


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