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父親が認知症と診断されて1年半近く、グループホームに入って1年近くになります。父親と長…

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父親が認知症と診断されて1年半近く、グループホームに入って1年近くになります。父親と長年2人暮らしをしていたアラフィフの私。自身も車いすユーザーの障害当事者で社会福祉士です。自分の老後のことも考えながら日々の暮らしをつづっています。

最近の記事

今度は1カ月の入院

前回退院して1週間。手術して入れ替えしたチューブの上の皮膚がずーっと赤くなってきて。それが痒みから痛みへと変わってきて、ちょうどその日、外来受診だったので、不安とともに口にしてみた。「感染してません??」 先生、慌てて患部を確認、「すぐ手術するので入院してください。」 こうして再び入院することとなった私。 すぐに抗生剤の点滴が始まり、体内に異物として残っていたチューブを抜去する手術の検討が医師たちの間で行われた。 昔はなかった手術方法がいまでは行われだしている。それもできる

    • 突然の入院、手術

      このnoteを始めて2年。毎週更新して記録を伸ばしていたのですが・・・。 今月に入ったころから段々調子が悪くなり・・・外来に行ってそれでもよくならなくて、、とうとう救急車で運ばれてそのまま入院となってしまいました。それから翌週に手術。そして次の週には退院しましたが。ということで記録更新ならず。残念。 髄膜炎に昔なった後遺症で水頭症になりシャントをいれているのですが、それが1年に数回流れが悪くなったりよすぎたり。シャントの圧を調整必要でつまってたりするといれかえ手術をしたり。

      • 車いす購入プロジェクト

        家用と就労用(外用)の2台の車いすをもっている私。家用のは市販されているような普通に大きい車いす、外用のはオーダーメイドのスポーツタイプ。 家は敷居があったりで段差を乗り越えられる前輪がやや大きいもの。それでないと後ろにひっくり返ってしまうから。 外は小回りがきいて車につみこめやすい小型のものを選んだ。 市町村の規定では6年で助成が受けられるが、家用のはなかなか同じ大きさのがなくて修理修理で8年ぐらいのった。 先日ブレーキに不具合があって購入した業者を呼んだらオイルつけてち

        • ネガティブなことは言わない

          先週は突然、自己判断ではあるけれど、薬を変えたらおしっこがでなくなって大変だった。過活動膀胱の薬。一応は主治医(専門外)に処方されたんだけど。で、手も悪いので自己導尿もできず関わっていた訪看に頼んだのだけれど。 やってはくれたけど、看護師同士で今後どうするかとか往診の医者をいれようとか(私が一人暮らしだから)私不在で勝手に話し合いがされていたらしい。 おしっこがでなくなってから近くの泌尿器科に行ってそこでもらった薬を飲み始めて2日目に出たした。ちょっと安心だけど、昨日で薬が終

        今度は1カ月の入院

          おしっこがでない!

          私、過活動膀胱で夜中に2回も3回もトイレに行くんだけど、そうなったのはここ数年前から。やっぱり年にはかてないのか、更年期も始まったし・・・。 で、過活動膀胱の薬を主治医に処方してもらって飲んでいたのだけど、だんだんそれも効かなくなり・・・耐性が出来たんだと思ってた。 そして一応は主治医に相談の上、薬を変えてもらいました。 ちなみに主治医とは神経内科の先生。 機嫌よく飲んでいたのだけど、それでも夜中2回はトイレに。私、車いすユーザーなのでベッドから起きてトイレ行くのもまぁまぁ

          おしっこがでない!

          Queen of 雑なヘルパーさん

          普段人の悪いところをできるだけ言わないようにしているし(直接なんてもってのほか!やんわりとユーモアを交えてが目指すところ)、書いたりすることも絶対ばれないところで、個人情報はぬいてを徹底している(つもり)。だってフワちゃんみたいに失敗したくないし。 でもこの暑さ、体のしんどさは平常心を失ってしまう。今日は雑だな~と思う人の話。 ヘルパーさんに家事支援を頼んでいる私。もう20年近くになるけれどその間、いくつも事業所が変わった。今のところは今年の3月からで比較的新しいところ。

          Queen of 雑なヘルパーさん

          限界が近い

          これまでの人生、あぁもうだめだーと思ったとき、画期的な工夫を思いついたり(それは頭に舞い降りてきた、みたいな感じ)、誰かが助けてくれてラッキーにも乗り切れてきた。 その場面をしなくてすむようになったということもある。たとえば通勤や職場内でのトイレ動作がものすごく大変になって職場の人にサポートを受けてしまうようになったとき、その仕事自体をその年度末に辞めた。そうして一つずつ仕事もやめていくことになる。 父親が亡くなったのも行くのが大変になってきて(車に乗る時にこけてなかなか行け

          限界が近い

          父親のいたずら?

          先日、父親の四十九日の法要を終え、納骨をすませました。もうお墓の中はいっぱい、私の入る余地はなさそう泣。 その日もとても暑い日で、私達姉妹2人だけでしたということもあり、喪服なんてもはや着れませんでした。汗びちょびちょ。 火葬場で父親の骨は2つの骨壺にいれてもらっていて今回納骨したのは大きい方。小さい方は本山に納めたいのだけどいかんせん遠い。お寺さんが年に2回は行くらしく来年1周忌のときに預かってもっていきますよ、と言っていただいてありがたくその通りに。それまでは家の仏壇に

          父親のいたずら?

          亡くなったあとの手続き多すぎ

          父親が亡くなったのが6月。周囲でも亡くなったあとに手続きが多いとは聞いていたものの・・・いざ自分に降りかかってきたらこんなに大変なのかと閉口しています。 亡くなってすぐはお葬式やお寺さんの対応など。うちは檀家なので格式というかなんというのか結構大変でした。 その後は相続関連。あとはもらっていた年金をとめないといけないし、医療保険介護保険の手続きなど。これは役所におくやみコーナーというところがあってある程度はワンストップでやってもらえますが。 そして銀行やカードをとめて引き落と

          亡くなったあとの手続き多すぎ

          中学時代の友人

          先日中学時代の友人から「家にいる?顔見に行こうと思ってるんやけど」と突然LINEが入った。その友人は実家は私の家に近いが関東に住んでいるのでなかなか会えない。前日に帰ってきたのだという。もちろんOK!久しぶりの再会となった。 父が亡くなってお花を送ってくれて、その上の来訪。そしてお返しはいいから、と。 この気遣い。彼女も義父を数年前に亡くし、そのあとの手続きやらでどれだけ大変な思いをしたか知っているから。ほんとに嬉しかった。 母は30年以上前に亡くなり、私が高校生のころ。そ

          中学時代の友人

          熱中症で

          梅雨なのにこの暑さ。しかも突然。 梅雨だからこの湿気。ジメジメ。 先週、県外に父親の戸籍謄本を取りに行ったときに熱中症になった。脱水。 私、すごい汗かきだから絶対熱中症にはならないだろうと思っていたのに、脱水とは・・・。 慌ててコンビニで冷たいお茶を買ってがぶがぶ飲んだけれど・・・ 昔、髄膜炎になった後遺症で水頭症になってるんだけど、頭の水分量がものすごく調整が難しくて。 帰ってから頻繁に起こるひどい頭痛。意識がとびそうなくらい。 しかも夜中、トイレに起きたときは汗でびち

          熱中症で

          いる人いなくなった人

          以前、15年とか20年前、あるデザインワークショップに障害者として頻繁に参加していた。いわゆるユニバーサルデザインのような障害者などマイノリティユーザーといわれる人たちにも使いやすいものをデザインするワークショップ。 それにはまって企画をするグループにも参加していた。 そのデザイン手法を世界中でひろめてこられた第一人者が先日亡くなった。イギリス人だけど日本の大学に所属していて日本に住んでおられた。まだ若かったはず。 その人に私もかわいがってもらったので、お葬式行きたかったの

          いる人いなくなった人

          笑顔の父親

          父親が亡くなって告別式の準備をするときに、遺影の写真をもってきてくださいと葬儀会社から言われた。 この写真って何年前までさかのぼっていいんだろうと聞いたが、「何年でもいいんですよ」と。 父親はこの2年半でどんどん痩せていって、入院してからはさらにガリガリに。自分で立てないぐらい。 いくつか葬儀会社に送っておいて打ち合わせで行ったときに決めた。私が好きな顔。食べ物を目の前にしてちょっとにやっとした顔。 施設ではこの顔いいですね、と何人もの職員から言われた。 その顔が今日も私た

          笑顔の父親

          精神病院の怖さ

          父親は昨年12月にグループホームを変わり、そこでの介護抵抗の強さで職員が悲鳴をあげて精神病院に医療保護入院となった。病院では面会禁止、ベッドから降りてはいけない、拘束パジャマ、箸はあぶないから取り上げられスプーンで食事、退院するまでずっとおかゆだった。最初、向精神薬を投与され、誤嚥性肺炎で中止された。 それでも父親は父親なりに頑張った。私たちも人間らしい生活に戻れるよう、月2回の主治医面談には出席、家族の希望を伝え続けた。 なんとか5月、受け入れてくれる施設が見つかり退院。

          精神病院の怖さ

          父親が亡くなった

          ロングショートにやっとはいって特養が目前だったのに、突然父親が亡くなりました。心肺停止で病院に搬送されてから1日ももたなかった。最期は私と姉に看取られながらすっといってしまった。最期の日は私たちと会話をすることもなく。でも耳は聞こえてるらしいから、私たちはずっと話しかけた。こんなこともあったよねー、あんなこともあったよねー、楽しかったねー、私たちを育ててくれた父親に感謝。本当にありがとう。 巻きずしにのどが詰まったって最期は食いしん坊らしい父親でした。だって、好物ですから。

          父親が亡くなった

          特養に早く入るコツ

          父親は特養待ちで5月から同じ施設内のロングショートに入った。と思ったら、もうすぐ特養があきそうだからどう?との連絡が先週入った。え、もう??だって何度聞いても10人待ちぐらいだったのに。とにかくありがたい一心で、「ぜひ!」と答えていた。 全国的に特養待ちの人数は緩和されている、なんてニュースでやってたけど、まだまだ100人待ち、200人待ちなんて近所の特養ではざら。「いい」と評判のところなんかはだいたい200人待ちとか。何年かかるんだよ・・・ そんな中で10人待ちっていう

          特養に早く入るコツ