今古墳業界が熱い!!奈良『富雄丸山古墳』「蛇行剣」&「鏡」
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■そもそも古墳とはなにか
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奈良県は古代遺跡の宝庫としてたくさんの方が訪れロマンの源泉となっております。
その中でも熱い視線を浴びるのが…『古墳』ではないでしょうか。
古墳。
古い時代…古代の墳丘墓のこと。
墳丘とは土を盛ったという意味があります。
子供の頃、ペットの金魚やカブトムシが死んでしまったらお墓を作ったりしたものですが、単純に埋めるだけでなく、なにか印をつけたりしなかったでしょうか。
土を盛大に持って墓と分かるようにする。これが墳丘墓です。
一般的に鍵穴の形をした「前方後円墳」が古墳のメジャーなイメージですが、実は色々あります。
丸い円墳。
四角い方墳。
ホタテっぽい形をした帆立貝型古墳。
などなど。
(ちなみに私が好きなのは八角墳! だってなんかかっっこいいじゃないですか(^o^))
古墳が作られ始めたのは、だいたい弥生時代くらいからです。
弥生時代というと稲作が盛んに成り始めた時代。
それ以前からも家族を中心とした血縁グループでもって助け合いながら暮らしてきたのでしょうが、稲作をすすめるとなると、さらなるチームワークが必要になります。
そんな人々が集う集落があって、人々をまとめるリーダーがいて…
そのリーダーのお墓をみんなで作る。
お墓が大きく立派であれば、その力を見せつけることができるので、さらに個性的なお墓が誕生していく。
こういう流れの中で、超ビックネームスペシャル古墳が誕生します。
そう、それが『箸墓古墳』です
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本格的な古墳時代の到来!? 箸墓古墳!
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箸墓古墳は女王ヒミコの墓とも噂される古墳で、形は前方後円墳。
周囲が溝で囲われていて、特別感アップ。
そして箸墓古墳のすごいところは「纏向遺跡」という場所にあることです。
纏向遺跡は奈良県桜井市にあります。
ここでは大型の建物の跡が発掘されており、物資を輸送する運河もあったようでした。
そして、河内や瀬戸内海、東海、山陰…色んな地域の土器が見つかっているのです。
つまり纏向遺跡を中心にしていろんな交流があったと考えられるのです。
ということは、箸墓古墳に眠っているのは、当時色んなところに顔がきいた…色んな勢力をまとめた人物かもしれない!
だとすれば、その人こそ当時の日本のキング・もしくはクイーンかもしれないのです。
箸墓古墳は3世紀の中頃くらいに作られたとされ、ここから「古墳のしきたり」みたいな方針がビシッと決まっていったのではないか。
「古墳を作る」ことによって社会を統制していったさきがけではないか。
と考えられています。
つまり纒向遺跡こそ、のちに日本を支配していく「ヤマト朝廷」そのものか、もしくはそこに至る関係者集団なのか…もしれないということが、濃厚になっていくのです!!
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そして「富雄丸山古墳」がキーパーソンになる!?
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さて、奈良市富雄で発掘された『富雄丸山古墳』と「蛇行剣」についてです。
2022年、すでに発掘調査が行われていた『富雄丸山古墳』であらたな大発見がありました。
これまで盗掘によって、すでに鏡とか玉が出ていたのですが、未盗掘の場所があり、そこからすごいのが出ました!
国内最大の剣!
そして不思議な形の鏡です。
富雄丸山古墳は、4世紀の終わり頃に築造された古墳で、東側に張り出しと呼ばれるステージみたいなのがついてます。
巨大な円墳で、その規模は国内最大!!
さぞ力のある人のお墓と考えられるのですが、ここから超不思議な剣と鏡が出たのです!
その特徴は
【剣】
・大きい!2メートル37センチもある!
・うねっている!
【鏡】
・こっちも大きい!64センチ!
・形が不思議・見たことない形(盾みたい)
いったいこれは何なのか?
他では見たことない大きさなんですけど!?
これは眠っている人の力の大きさを示すの?
それとも魔除け?
当時の権力者?
それともアンチ権力者??
ということでいろんな説が飛び交い、今古墳業界でもっとも熱い視線を浴びているのです。
謎だらけの「蛇行剣」&「鏡」
いったいなぜ、誰が、どうしてこんなものを作ったのか。
そしてこれとともに眠っているあなたは誰??
ヤマト朝廷との関係は??
新発見ってそんなにないようで、実はある!
まだまだ私達をわくわくさせる新事実が登場するのです!!
冒頭イラストはkeiさんのイラストを挿入させていただきました。keiさんありがとうございました!
奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。