海と奈良県民
奈良には海がない。
この海なし県の海への憧れは、ほとんど飢餓状態といってもいいくらいだ。
旅先の車窓で海が見えたとする。
きゃーきゃーいう人々の中で、ただじっと海に目をそそぐ人がいたら、それは奈良県民だろう。
彼らは海に感動しているのである!
とはいえ、私の祖父母は瀬戸内海に住んでいたので、定期的に海成分を補充することができた。
奈良に住む人が、積極的に海を求める時、どこへいくのかよく知らない。
須磨の方が、はたまた和歌山か…
どちらにしても、県をまたいでわざわざいく場所、それが海だ。
昔はもっと海岸線が中に入り込んでいたという。
津波の脅威も今以上だったろうし、恵みをもたらす分、海は怖かったろうと思う。
同時に、日本人の先祖は海洋民族だったろうと思う。
家の中で靴を脱ぐ習慣は、船のしきたりからきているという。
昔の船って、靴を脱いで上がるものだった。
海とともにあり、船で生活していた人々が海のない場所での定住を始めた時。
彼らは物足りなかったかもしれないが、安堵したのではないかと想像する。もう海の脅威がないのだから。
和歌山に熊野大社というお社があって、中世の天皇などがそれはそれは熱心にお参りした。
こんな山の中、よくきたなーと思うのだけど、海の脅威がない場所を好むDNAの働きか?とも思う。
奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。