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やさしい万葉集 奈良時代の人々の「宝物」とは

万葉集のなかに「詠み人知らず」というのが時々出てきます。

文字通り「誰が詠んだのかわからない」ということなんですが、万葉集にはとてもテーマ性があり、「誰が詠んだのか」はどうでもよく「何を詠んだのか」ということを大事に思っている・・・ように考えられます。

もちろん、国が作った歌集なので、国家の意思を反映している・・・たとえば持統天皇の息子に草壁皇子というひとがいますが、彼はとりたてて大きな地位に着く前に死んでしまいました。

皇太子だったという説もありますが、それすらあやふやで、その息子が文武天皇になれたのは、ひとえに周囲の画策があったからでした。

そんな草壁皇子を悼む歌がどどんと残されているのは、「意図的に」草壁皇子とその系譜を正当なものと認識させようという仕掛けほかなりません。

しかしそれだけでないところが万葉集のおもしろいところで、政治的な配慮からは遠い恋の歌のや嘆きの歌、感傷的な歌も沢山あって、当時の人々が色んな感情と格闘していたことがわかります。

大仏さんを作った聖武天皇のお后は光明皇后という方で、この方の歌も万葉集に収録されています。

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大船(おほぶね)に、楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き、この我子(あこ)を、唐国(からくに)へ遣(や)る、斎(いは)へ神たち

(巻19 4340)

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この歌の題詞には、「春日に神をお祭りした日、藤原太后(光明皇后)が御作りになった歌一首 。即ち、入唐大使(にゅうとうたいし)藤原朝臣清河(ふじわらのあそんきよかわ)に賜った歌。

という注釈がつけられています。

藤原清河という人は、光明皇后の甥に当たる人で、遣唐使のリーダーとして唐へ渡ることになりました。

その際、光明皇后が無事に帰ってきてほしい願いをこめて歌を詠んだというのです。

この歌には、叔母から甥に向けるやさしいまなざし、人知を超えた苦難から守ってあげてください神様、というすがる気持ちが見て取れます。

光明皇后の歌は万葉集の中で3首確認できるのですが、どの歌もやさしさ、かわいらしさ、情緒深い感じがする歌です。

光明皇后は公の立場がある人なので、「皇后」として歌を残す必要を編者は考えたかもしれません。

この歌が収録されている「巻19」は、孝謙天皇の時代の歌が多く、そういう時代性に沿って選ばれたと考えられます。

でも、同時にここで必要とされているのは「気持ち」なのです。

・叔母が甥に向けた愛情

・遣唐使という大役を引き受けた若者への励まし

・遣唐使というのは下手したら死ぬかもしれない事業ですから、そこに飛び込む不安。

・自分より小さきものへの「守りたい」気持ち

こういう気持ちを持って接していたこと。

そういう女性がいたこと。

そういう気持ちを向けられた男性がいたこと。

万葉集は当時の人々の心こそ宝物だと言っているのです。

歴史的な出来事でも、現在の事柄でも、私たちはつい「結果」を求めてしまいます。

遣唐使が出発したのか、じゃあ何を持ち帰ったのか?

無事に帰ってきたのか?

遣唐使は成功したのか?

もちろんこれは重要なことです。

光明皇后の祈りは天に通じたのか。

気になるところではあります。

しかし、万葉集は結果を載せてはいません。

成功か失敗か?

ではなく「気持ち」

こういう気持ちを抱えた人がいた。

それだけを載せています。

余談ですが、歴史的な事実を見ると、清河は日本に戻って来れませんでした

光明皇后の祈りは届かなかったのです。

でも結果が何であろう?

国家のために命を賭けて海を渡った男性がいて、その無事を祈った女性がいた。

奈良時代に、やさしい真心の交流があったのだ。

万葉集は今に伝えてくれています。

イラストはみんなのイラストからナナさんのイラストを挿入させていただきました。ナナさんありがとうございました。

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