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メタバースの聖地??賣太神社 怒涛の御由緒書き



めた神社

奈良県郡山市というところにある「賣太神社」にお参りしてきました。

日本は古い時代の書物が残っている有り難い国ですが、奈良時代に作られた『古事記』という歴史書があります。

この古事記は最初口頭で語り継がれていたみたいなんですね。

それが、文字として記録されることになりました。

この口で伝えるということをやっていた人のひとりが、稗田阿礼という人です。

アレイさんが住んでいた地域が、現在の奈良県郡山市、稗田という場所です。

稗田という場所は、町を掘りで囲う「環濠集落」というのがありまして、稗田環濠集落というのが、今でも残っています。

その中にあるのが「賣太神社」です。

賣太神社は「売る」「太い」と書いてめたといいます。

お祭りされてる神様は、稗田阿礼と、アメノウズメという神様、猿田彦という神様です。

アメノウズメという神様は、のちに「猿女君」という一族になったと言われ、この猿女君という一族が稗田という一族に名を変えていくのですけど、
猿女君の時代にたくさんの田んぼをもらったそうです。

猿女君の田→さるのもじが読み飛ばされて「め」の「田」→めたとなっていったというのです。


アレイさんは、その子孫でして、古事記となって残るくらいの膨大な量の昔の話を記憶していたのですから、今は知恵の神様として崇められているのですね。


境内は参道がすっと伸びていて、とても清々しい神社でした。

こじんまりしているのですけど、道幅が広くて、目の前がひらけていてとても明るいのです。

推しはアレイ


そして御由緒書があるのですけど、それがすごい。

ふつうは木の板や銅板なんかを使って、わりとあっさりとした内容しか書かれていないのですけど、ここは巨大な特設掲示板が設置されていて、それがビニールで覆われていて、完全武装してる。

そして阿礼さんのこと、アメノウズメさまのこと、猿田彦さまのことをびっしり…もうそれはびっしり書いている!


アレイさんの部分をちょっとだけ…ちょっとだけ引用しますと

七世紀この稗田氏一族の阿礼命が、天武天皇に舎人(とねり)としてお使え申し上げていた。『古事記』の序に「時に舎人あり。姓は稗田、名は阿礼。年はこれ二十八。人となり明にして、目に度〈わた〉ればロに(よ)み、耳にふるれば心に(しる)しき。」とある。天皇がご精選された歴代の神々や天皇の御事跡・神代以来の各氏族の歴史など、数多くの事柄を勅語で、習(よみなら)わしお掛けになった。これを三十有余年後、奈良の都に遷都された翌年、時の元明天皇が太安万侶命に、「稗田阿礼の読み習った事柄を記録せよ」とお命じになられた。このようにして、和銅五年(七百十二年)正月二十八日に天皇に撰上申し上げたのが『古事記』である。

賣太神社 境内のご由緒書


とありまして、さらにながながと続いてまして、もう完全にアレイさん推し。

稗田阿礼という人物が、いかに優れていて聡明だったか。
だから時の天皇によみならわしお授けになった…

うちのアレイさんは天皇陛下に歴史をお授けしたんだぜヘイヘイヘイ!という誇り高い感じが伝わってきます。

まさかのメタバース聖地


ところで「めた」という音が、「メタバース」に通じるということで、仮想現実空間「メタバース」の聖地にもなってるそうですね…

アレイさんのご先祖さまの時代は、音・声・脳内記憶だけの世界だった。

それが紙に書くようになってバージョンアップしたと思ってたんですけど、実は脳内の、記憶の世界と現実の世界を行き来していた時代の方が、優れていたのかもしれません。

そして今、仮想現実の世界と現実の世界がつながるようになって、時代はまた古代の力を取り戻しているのかもしれません。


ほな あとはあんじょうたのみます。




 


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