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天武天皇 いまだに推され続ける理由

天武天皇という方は恐ろしく人気のある方です。

古代が好き…というかたの5人に1人は天武天皇派ではないかとにらんでおります(ただうち調べ)

たとえば奈良の吉野に天武天皇を祀る「浄見原神社」があります。

ここは「国栖奏」という歌舞が奉納されるところでもあります。

国栖奏とは、かつてこの地に逃げ込んできた天武天皇を慰めるために、地元の人が奉じた歌舞のこと。それが代々受け継がれ、現在でも奉納されています。

天武天皇を慰めてから現在までずっと…というのは、ちょっと気の遠くなるほど長い時間です。

それだけ地元の人は天武天皇を支え、その活躍を愛するファンの人々が存在してきたということです。

この国栖奏はまだ拝見したことがないのですが、狭い境内にも関わらずものすごい人が詰めかけるのだとか…

すぐそばに水面美しい川があり、大変風光明媚なところで、この美しさは天武天皇がいた時代から変わっていないと思います。

この美しすぎる川を、天武天皇も眺めたのか…

天武天皇は「壬申の乱」で兄の子(甥)大友皇子を破り、天皇の座についたひと。

当時世の中にいた天智天皇もまた、それまで政治の中心だった蘇我入鹿を抹殺し、日本のしくみを変えた人です。

本来なら、この天智天皇の右腕として、天武天皇は一生を終えることだってありえたのです。

でも、それをせず自分が頂点に立つことを選んだ。

そこには「登りたかった」のか「登らざるをえない状況に追い込まれたのか」色々な解釈があります。

当時の人々の気持ちの奥底は知るよしもありませんが、天武天皇を愛してやまない人々は、懸命に生き、迷い、立ち止まっても必ず進み、そして自分の人生を全うした天武天皇に何か光を見ているのではないでしょうか。

巻頭イラストはあおさばさんのものをお借りしました。ありがとうございました!

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