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「改元」と奈良時代を生きた女帝の『真実の?』御陵とは?



陰陽師のなりわいは「異変」を捉えること


大河ドラマ『光るきみへ』にて、安倍晴明が登場するだけでもニヤリとしてしまうのに。

今回は河原でお祓いをしているシーンだったので、もう眼福眼福でした。

奈良博が所蔵する『泣不動縁起絵巻』というのに、まさにその「お祓いシーン」がありまして、それを元にしたような再現っぷりに、うっとり。

大河ドラマでは、安倍晴明の従者をDAIKIさんが演じていて、今のところ一言も喋っていません。

もしかして彼は、いるけれどいない存在…という設定では?と睨んでいるのですけど、もしそうなら、人の形をした「式神」かもしれません。

そう思って『泣不動縁起絵巻』を見ると、まさに安倍晴明の式神が座っている場所が、今回のDAIKIさんが座っている位置と似てるんですよね…にやにや。

陰陽師とは、空を見つめ、星を読み、天体観測をすることが生業のひとつです。

安倍晴明役のユースケ・サンタマリアがなんだか顔色悪く表現されてるのは、夜寝てないからかなあと思うのですけど。

年間通して星を観測することで、吉事も凶事も、豊作も不作も占えるのです。

古代にから江戸時代まで、彗星など普段と違う現象があれば、必ず記録されていました。

天体の異変は、天のお告げであり、それを受け止めるのは天皇だからです。


天からのメッセージに答える方法


当時は徳を持って政治を行えば、しぜんと世の中は鎮まり、徳なき者がその座にあれば、天変地異でもってそれを知らしめます。

大雨や凶作や、疫病やイナゴ被害などなど。
災いはすべて天皇の責任なのです。

天皇は天から頂点に立つことを委任されているので、ふさわしくなければそうやって教えられる。なんとも恐ろしい…。

どの時代の天皇も、君主としてふさわしくあるべく努力したかと思いますけど、世の中を良くするために講じられた策として、もっともてっとり速い?のが『改元』です。

世界広しといえども、元号を使っているのは日本だけ。

かつては元号を変えることで心機一転を図ることがありました。

珍しい白い亀が出現したり、美しい雲が現れたりしたことを天が祝福しているととらえ、それを受けて改元したり、地震や火災など不穏なことが続くと気持ちを切り替えるべく改元されたり。

これまでの歴史の中で、何度も改元がありましたが、だいたいが漢字2字なところ、漢字4字の時代がありました。

奈良時代です。

中国風の元号「四文字熟語」時代


大仏さんを作った聖武天皇の御代が終わるまぎわ、「天平感宝」という元号に変わります。

当時日本に国産の金が発見されておらず、せっかく作った大仏さんに鍍金ができないでいました。

ほしくてほしくてたまらなかった金が見つかった!

その喜びから「天平感宝」へと改元されたのです。

しかし、すぐに次代の孝謙天皇(女帝)に変わったので、すぐ代替わりの改元となりました。

「天平勝宝」とういのがそれです。

孝謙天皇の時代、金貨が作られ、その名が「開基勝宝」だったり、このあと亡くなった聖武天皇への諡が「勝宝感神聖武皇帝」だったり、やたら「勝宝」を見かけます。

その後、孝謙天皇が「寝殿の天上に「天下泰平」と文字が現れた!」とおっしゃり、しばらくして、駿河国から「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」と読める文字を蚕が吐いたそうで。(まじか)

これって「五月八日は、故・聖武の喪が明ける日ですけど、孝謙天皇はちゃんと仏事を営み孝養を尽くした。天にいる帝釈天はこの誠の心を見ていらして、天上界の扉を開けられた。孝謙天皇は寿命長く百年の命を与えられるだろう」

という意味になります。

実際に聖武天皇は5月2日が命日なんですけど、蚕がそんな糸吐いたら怖いんですけど、そう『続日本紀』に記されているのです。

よって「天平宝字」に改元。

まだまだ終わらず、その後に「天平神護」さらに「神護景雲」に改元されていきます。


そういえば、平城京の守り神である春日大社の社殿が整えられたのは、神護景雲の時でした。

孝謙天皇は経験は仏教徒で、のちに尼となり天皇の仕事もした人ですが、神様へのお気持ちも強かったのでしょう。

孝謙天皇の真実の御陵とは?


この孝謙天皇が、長年右腕だった藤原仲麻呂に謀反を起こされた時、その鎮圧の加護を願ってお作りになったのが西大寺です。

女帝は四天王に勝利を願い、見事打ち勝ちました。

境内には女帝が自ら鋳物師したという邪鬼が残ります。


さて、この孝謙天皇のお墓が西大寺のすぐそばにあります。

佐紀高塚古墳というのがそれで、宮内庁によって孝謙天皇のお墓とされています。

しかし、この古墳を含めて「佐紀盾列古墳群」と呼ばれるゆかしい古墳群のひとつであり、成務天皇陵や日葉酢媛命陵とも隣接しています。

孝謙天皇のお墓を含めて、5世紀頃の古墳であり、8世紀を生きた女帝にはそぐいません。

ここが孝謙天皇でないなら、真実の孝謙天皇陵はどこにあるのでしょうか?

実はこここそ、女帝の眠る場所ではないか?という所があるのです。

2月4日(日)西大寺ツアーにて、そちらを訪ねます。

ひょっとして、こっちの方が孝謙天皇のお墓にふさわしいのでは?という場所は、見事な高台にあり、彼女がおさめた平城京を見渡せる場所です。

当日は、ふだん非公開の愛染明王さまも御開帳になります。

ぜひ、お越し下さい。

【日時】2024年2月4日(日)
13時スタート
16時ころまで
【参加費】4000円

西大寺ツアー 愛染明王御開帳と孝謙天皇「真実の?」御陵をもとめて | ただうち香織の奈良ガイド (uruwashinara.com)








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