大病体験記 第3章「無より転じて」01
8月も終わりに差し掛かった頃、彼はF県F市で単身赴任生活に戻った。
復帰初日、かなり緊張したが、保育園のスタッフは皆温かく迎えてくれ、ほぼストレスなく2か月前に座った席に戻ることができた。
時は残暑厳しき折。
園庭に設けた手作りの日除けの安全性チェックや、砂場の砂量チェック、害虫や猫のフンなどの要除去物のチェック業務、草むしりから仕事は始まった。
初めに携わった「テクノロジーっぽい仕事」は、園庭に野良猫が寄り付かないようにするための、「センサー式動物感知・超音波発生装置」の据付、運用だった。
T園長としては、デスクワークだけ任せていては、保育士、看護師、厨房スタッフ、子ども、親御さん等に「副園長が何をやっているか分かりづらい」ため、周囲の目につきやすく、地道な印象を与える業務を選んで彼に振ってくれたのだろう。
体力的に「自分はまだ使い物になるか」の試金石ともいえるこうした業務を、彼はありがたくこなした。
事務室では、月初に保育主任が取りまとめるスタッフシフト表を法人本部と共有し、日々のタイムカードや各種台帳をチェックしながら勤務実績をシステム入力していく「勤怠管理業務」を日々行った。保育園のこうした業務は比較的アナログに行われていたため、事務職の長い彼には、多くの改善提案ができそうだった。
また、物品購入、月次の支払等の経理業務についても、より簡単に運用する余地がありそうに思われ、彼は「自分は割と役に立てそうかもしれない」と安堵した。
しかしながら、保育業務については、彼は全くの素人であるため、完全にT園長、保育主任、保育士の指示に従った。たまに、発熱した生徒が事務室で「お迎え待ち」をすることがあったが、その対応すら彼には難易度が高く、おっかなびっくり、保育士にやり方を聞いて覚えた。
0歳から5歳(小学校に上がる前の学年)までの子どもたちが集う保育園では、当たり前だが、子どもたちがさまざまな気持ちをぶつけ、喜んだり、泣いたりしながら、遊び、学んでいる。主任をはじめ保育士の先生たちは、子どもの気持ちを言外に把握し、それに応じて適切に対応する術に長けていた。
また、子どもが興味をもつ玩具の見極め、新しい「お集まり」の提案、危険個所の発見など、非常に専門性に優れた集団だった。
3歳クラスのHちゃんの頼みを断り切れずに延々と抱っこを続けながら、彼は、「保育」という現場の専門性を痛感していた。
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