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レコードは死なず

クラッシュ、クイーン、デビッドボウイ、ジョンレノン。

集め始めるとまったくキリが無くなるもので、ファーストから最新のモノまですべて手に入れたくなる。その少しずつ探し当てていく過程がまた、たまらなく楽しかったりするのだけれども。

SpotifyやAppleMusicなどのサブスクが主流になってからというもの、ここ数年「音楽にお金を使う」という行為をすっかりして来なかった。学生の頃みたいに1円でも安いCDを探す為に中古レコード店を転々としたり、視聴もせず直感だけでジャケ買いする事も無くなった。聴きたいと思えば親指一つで曲を探せるし、なんならプレイリストの方から「この曲好きでしょ?」言わんばかりに勝手にレコメンドしてくれたりする。

そんな感じだから、アルバムを頭から一枚通して聴くことも無くなったし、「インスタントカーマが聴きたいけど家にレノンレジェンド無いから買うか借りるかしなきゃ」と悩む事も無くなった。それはそれで便利だけれども、あの超絶に欲しい盤を探し当てた時の、快感めいた何かを味わうことを久しく忘れていた。

そんな満足感が味わいたかったからか、はたまたただ懐かしさに浸りたかっただけか。つい最近レコード集めを始めた自分がちょうどディスクユニオンで出会ったのが「レコードは死なず」っつう映画ハイフィデリティの実話版みたいな、一度手離したレコードを再び集め直す中年のオジサンのお話が書かれた本だった。

懐かしいから同じレコードをもう一度買う。それなら誰もがやりそうな事だけれども、このキチガイじみたオジサンがやったのは「自分が持ってたのとまったく同じレコードを手に入れ直す」こと。弟のイニシャルがマジックで殴り書きされたKISSのAliveⅡ。毎回同じ所で曲が飛ぶLivin'On A Playerが収録されたボンジョビのLP。オジサンが探し始めたのはそんな感じのシリアルレベルで同じ盤だった。そんなレコードが集まるのかどうかは読んで結論を知った方が早いけれど、結局のところオジサンがしたかったのは、ただ同じ曲を聴き直したかったのではなく、レコードに刻まれた思い出を再所有する事だったらしい。レコードをかければ淡い思い出が一つずつ甦る。マリファナを隠したジャケットの臭い。盤の傷。汚れ。耳からだけでなく感じられるすべてをもう一度味わいたくてオジサンはレコードを集め直す旅に出る。そんな大それたモンじゃないかもしれんけど。

これが不思議なくらい共感出来るから面白い。

高校時代、下校途中に父親が入院してた病院に向かう途中で聴いていたストーンズのShe's A Rainbow。暇でどうしようもなく、ただ彼女ん家で寝そべってただけの大学時代に聴いてたクラフトワークのThe Mix。就職して絶望の下っ端時代に聴いていたシンディーローパーのGirls Just Want to Have Fun。

面白いことに探す前は何とも思ってないのに、ディスクユニオンでレコードを見つけると、そのジャケットが当時の記憶のデータベースから1番印象深い思い出を引っ張って来てくれる。そして、ヤバ。めっちゃ曲聴きたい。買お。ってなる。

当たり前だが、90〜00年代に青春を過ごした身なので、当時持ってたのはCDでありレコードではない。けれどもあのド迫力なジャケの大きさ、一枚通して聴かなければいけないという手間、そしてCDよりも遥かに高額な値段。つまりはカネと時間を費やして「わざわざ」入手するあの煩わしさが上手い具合に思い出とリンクして何とも言えないノスタルジーを具現化してくれる。この快感が思い出いっぱいが大好きな自分にとってマジでハンパなくたまらない。月に購入は5枚までと自分なりにルールを設けてはいるが、そんな枠は月初にすぐ使い果たしてしまう。

「レコードは死なず」のオジサンは最後に集めた思い出たちを妻と子どもに託そうとするところで本は終わる。思い出は今に繋がって、大切な今を浮き彫りにする比較対象だから良いものなんだろう。後々に残る物をモノとして所有する習慣が減ってしまった、ような気がする今だから、思い出をモノに託して探し当てる行為が楽しかったりするんだろうな。案外、モノとして在るって事は大切なのかもしれない。

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