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山田詠美『ぼくは勉強ができない』を読んで

1996年3月に出版されたこの作品。時代を超えて多くの人から愛される理由が、読んでみて分かりました。

学校生活を送る中で感じるちょっとした違和感。みんなが当たり前としてなんとなくぼんやり受け入れて生きていく中で、疑問を持ち続け臆することなくそれを大人たちにぶつけていく主人公の秀美くん。

秀美くんに共感し、憧れた若者たちが数えきれないほどいることでしょう。

あらすじ

「ぼくは思うのだ。どんなに成績が良くて、りっぱなっことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする」――時田秀美は17歳、サッカー好きの男子高校生。勉強はからっきしだが、めっぽうモテる。発表から四半世紀、若者のバイブルであり続ける青春小説の金字塔。 解説・綿矢りさ

青春時代に読んでいたら危なかった

私がこの小説を高校生のときに読んでいたら、きっと秀美くんから強く影響を受けて、斜に構えたただの嫌なやつになってしまっていたことでしょう。

いいえ、秀美くんは、嫌なやつではありませんよ。

明るく、素直で、サッカーが好きで、勉強が苦手な、素敵な男の子です。

そしてあまりにも正直者なのです。

クラスの中でいい子ちゃんをして先生に従順なほかの生徒たちとは違う、疑問を率直に大人にぶつけていくような子どもだった秀美くん。

「お前は生意気だ!」と怒られたとしても、「ふむ、なぜあの人は怒ったのだろう?」と考えることをやめない秀美くんは、たしかに学校の成績は良くないかもしれないけれど、ひとりの人間として賢いに違いないでしょう。

高校生の私だったらきっと、そんな秀美くんの魅力をはき違えて、ただただ大人や社会に反抗するだけの残念な女子高生になっていたと思います。

ふー、危なかった。

秀美くんに憧れて、年上の女性とお付き合いしてみたいと思った男の子、勉強ができなくてもいいや(むしろ勉強ができない方が格好いいんじゃないか?)と思った男の子、女性にモテたいと願った男の子、いっぱいいるんだろうなぁ。

母となったいま、憧れるのは仁子さん

秀美くんは、母と祖父と三人暮らし。

母・仁子さんは、編集者として仕事をして、父と息子を養っています。

秀美くんが三角定規を買うことには難色を示すのに、自分はブランドもののバッグや靴を買いまくり、男性たちとデートし、なんとも自由に生きている仁子さん。

いわゆる”良妻賢母”みたいな理想の母親像からはかけ離れているような、自分勝手にも見える仁子さんですが、彼女なりの家族への愛があり、秀美くんは母から大切なことをいくつも学んだと自覚しています。

私が仁子さんに憧れるのは、自分自身を愛することを忘れていない姿が格好いいからです。

母親になると、どうしても自己犠牲が美しいとされる風潮があります。

自分のことはすべて後回しにして子どものためにすべてを捧げる、それがあるべき母親の姿だと認識されているように感じます。

もちろん子どもが赤ちゃんのうちは、そうせざるを得ないこともたくさんあります。たとえば、お風呂上りに自分は裸のまま髪も乾かせず顔の保湿もできずに、赤ちゃんを拭いて保湿して服を着せて授乳して……みたいなね。

だけど子どもがある程度大きくなってからは、自分を犠牲にして子どものために生きるという姿勢を貫く必要はないような気がしています。

「母だって、自分の意志や欲望を持ったひとりの人間なのだ」と知れることは、子どもにとっても良いことではないでしょうか。

意見を主張し、欲を隠さず、やりたいようにやる、ひとつの独立した人格なのだと、行動を持って示している仁子さん。

そんな仁子さんを見て育った秀美くんはきっと、女性に対して自分の理想を押し付けたりせず、一歩引いてついてきて欲しいと願ったりせず、自分が上に立ってリードしていかなければならないと考えたりせずに、尊重できる男性に成長するでしょう。

「お母さんはお母さん」ではなくて、「お母さんは、お母さんである前に、いち人間、いち女性、そしてお母さんでもある」と生き様で語る仁子さん、格好いいです。

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