#10_ジャニオタという遺伝子を持って生まれた女
りょんの報道が出る少し前の2019年1月27日の夕方、
またしてもとんでもないニュースが飛び込んできた。
“2020年12月31日をもって、嵐としての活動を休止する。”
もう、ジャニーズ事務所に何が起こっているのか分からない。
2018年9月にタッキー&翼が解散し、年末をもってタッキーは芸能界を引退し、翼はすでに事務所を退所。
翼の体調のこともあったとは言え、解散しちゃったのか…。
Jr.黄金期のコンサート含め、Jr.だけのコンサートも姉がタキツバのファンクラブにも入っていたときは今のデビュー組がバックで踊るコンサートもよく観に行っていたから
タキツバが2017年に活動を休止した頃にファンクラブは辞めてしまったものの
解散というだけでもまた驚き寂しさを感じていたし
タッキーが芸能活動自体を引退することもまた、ジャニーズ事務所にとってひとつ大きな出来事だよなぁなんて思いながらしんみりしていたところに
嵐の活動休止。
その年末に特別番組として放送された「8時だJ」でタキツバ、嵐、エイト、山Pや斗真たちが
20年ぶりにCan Do! Can Go!を歌っていた懐かしくて楽しかった光景が一気に霞んでいく。
このとき、みんなで何かを話したんだろうかと考えてしまうほど
この時代の私たちの青春を彩ってくれていたメンバーが次々と形を変えていってしまう。
嵐の会見を見ていて
私は嵐本人たちも事務所スタッフも、嵐のファンも、本当にすごいなと思った。
すうが辞めたとき、ほんのちょっぴりだけ、だったらもう解散してくれと思った。
でももし、あのすうの会見で全員が揃い、「解散します」「活動休止します」と言われていたら
私は絶対にこのときの嵐のファンのようには受け止められない。
自分が嵐のファンじゃなくて良かったと思ってしまうほど、ここに来て“活動休止”という形を告げられるのも辛いものだと思った。
1999年に嵐がデビューしたとき、行われた握手会にも行ったし何度かコンサートに足を運んだこともある。
V6の岡田くんと翔くんが出演していた「木更津キャッツアイ」が大好きで
嵐の出ているバラエティ番組を見るのも幸せな気持ちになれる、大好きな時間だった。
何気ない日常の1コマに、当たり前のようにいた嵐。
数々の功績を残してきたトップアイドルでさえ、迷い、人生に悩むものなのだと思い知らされたと同時に
“アイドルが年を取る”という事実が現実的に重くのしかかる。
私たちファンも同じように年を取り、結婚や出産、人生このままでいいのかと悩むのと同じように
アイドルも人間なんだと頭では分かってはいる。
それでも、グループが活動を休止するということは
「解散はしません」と言えどもこれからしばらく5人が揃い、歌って踊る姿は見られない。
その姿がまた見られるようにと祈りながら待つしかない状況に変わりはない。
それでも時間は止まってくれないし
活動休止までのタイムリミットを胸に抱えたまま、それぞれの日常をこなしながら2020年まで嵐と向き合った嵐ファンは本当に尊敬に値する。
2020年のオリンピックは延期、最後のコンサートは新型コロナウィルスの影響で無観客。
どんな気持ちでこのコンサートのオンライン配信を見ていたんだろうと思うと泣けてくる。
そしてこの会見のときに5人が語った、
「嵐の活動は5人でしかあり得ない」
という言葉は、関ジャニ∞ファンの私の脳内にとても重く、鈍い音とともに響いた。
もしかしたらりょんの脱退報道が出たとき、“7人じゃない関ジャニ∞”に一番違和感を感じていたのはりょんだったのかもしれない。
そんな噂の真相もどこまでが本当でどれが嘘かは分からないけれど。
すうに真相を確かめたいと思っている「元気が出るSONG」のりょんが書いた歌詞をまた、深読みしてしまう。
「永遠なんてない」と、このときりょんも思ってたのかな…。
脱退報道が出たすぐあと、2019年4月にファンクラブ会員限定の
「関ジャニ∞出演 インフィニティ・レコーズ撮影協力」という募集メールが届く。
ド平日に時間も場所も未定。
まあ、当たらんやろうけど、と姉と一緒に申し込んだこの募集が
2019年に15周年を迎えるにあたって行われる十五祭の前のイベント「十五祭前夜祭」だった。
十五祭を完走しりょんが脱退したあと、DVD特典として収録され、このタイトルが付けられたことを知った。
2005年、内くんが直前に謹慎となったサマースペシャルの前にも行った“前夜祭”と同じ。
このタイミングでもまた忠義が一度、過去映像を見返して構成したんだろうなと思った。
そして2019年4月23日。
撮影協力という名目で集められた場所はFM大阪。
2015年、京セラドームでレコメンのラジオ収録にも参加した私と姉は、集合場所を聞いてラジオ収録かな、と話していた。
「レコード会社主催やのにそれはなくない?」なんて言いつつ
その場でスタッフさんから告げられたのは、収録はこのあと大阪松竹座に移動して行うということ。
“松竹座”
この会場の名を聞いて湧き上がる歓声。
松竹座という言葉だけで泣いている人もいた。
過去、ここに特別な思い入れがあるエイトがもう一度松竹座に戻ってくるときは
誰かの結婚発表だろうと言い続けていた。
「そうなったらめっちゃ嫌!」なんて冗談も今は言えない。
もう嫌な予感には、気づかないふりをした。
FM大阪を後にするとき、出口で松竹座の座席を引き換える。
昔、Jr.がやっていたJ-2000という野球大会のチケットを引き換える感覚を思い出す。
押し流されるように何も考えず並んだ引き換え列で、
この日何度目かの奇跡が起きることに気付く数分前。
私たちが引き換えたチケットには
そして、“1階 4列 ○○番”の文字。
松竹座の座席表なんてほとんど頭に入ってる私たちは
こんな席で、しかも松竹座で、もう二度と見ることのないだろう関ジャニ∞を一瞬で想像し
湧き上がる高揚感とさっきの嫌な予感を、同時に飲み込むことしかできなかった。
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