前編『コムデギャルソンの成功とヨウジヤマモトの失敗から分かる事』
どうもNaraです。
日本が誇る2大デザイナーズブランド、コムデギャルソンとヨウジヤマモト。その両者の服作り、ブランディング、経営の在り方。似ているようで非なるものなのです。今回はその両者の成功と失敗から見えてきた事を書き留めたいと思います。そして特に前編ではコムデギャルソンの成功について書きたいと思います。
ではまずコムデギャルソンというブランドの特色とは?
コムデギャルソンのというブランドを語るにあたって、特筆すべき点は意外にも、多彩なブランドラインナップではないかと、私は読みます。もちろん自由な服作りなど、他にも特徴は様々ありますが、その根底にあるものは、多彩なブランドラインナップだと思います。では何故それが重要なのか。
理由1
コムデギャルソンという1つのブランドの中に様々なラインナップを設定することで、1つのブランドイメージに縛られることを防いでいます。これによってコムデギャルソンという1つのブランド内で、方向性の違う服を作ることを可能にしている。
理由2
また、同時に売れる服と作りたい服を別のラインナップに設定することで、安全な経営と自由なクリエイションを上手く両立させています。コムデギャルソンはリーマンショックの際も、新たに「ブラックコムデギャルソン」という低価格帯のブランドラインナップを設定し、上手く状況に適応してきたのです。この辺り、コムデギャルソンというブランドが、経営面でも服作りの面でも、長生きしている最大の理由ではないでしょうか。
理由3
そしてもう1つ。この多彩なラインナップを設定することが若手デザイナーの育成も容易にしているのです。例えばギャルソンファミリー筆頭のデザイナー、渡辺淳弥の場合にもよく現れています。
コムデギャルソンのブランドラインナップに、新たに「ジュンヤ・ワタナベ・コムデギャルソン」を加えることで、ブランドのイメージ維持しつつ、渡辺淳弥の名前を売り込み、かつ彼にに大きな責任が発生することで、渡辺淳弥自身を大きく成長させることが可能となったのです。
そして、この一連のプロセスを全て自社の「コムデギャルソン」という大きな括りの中で行っている辺りに、デザイナーとしても、経営者としても川久保玲の先見の明が光っていたと感じます。
この以上を踏まえた上で、コムデギャルソンの本質はという問いへの答えは
自由な服作りを支える、緻密で計算されたブランディングだと言えます。
仮に、設立当初、ブランド名を「レイカワクボ」にせず、「コムデギャルソン」にした時から、ここまで見通していたのなら、さらに恐ろしいですね。
そして、恐らく世界で最初に行ったであろう、このブランディング。後に90年代、ファッション業界に衝撃を与えた、マルタンマルジェラにも大きな影響を与えています。
皆さんご存知の、カレンダータグ。実はこれ、川久保玲がブランディングの一環として行った、ラインナップの多様化を、マルタンマルジェラが1つのデザインへと昇華させた結果なのです。
やはりマルタンマルジェラも、この川久保玲の成功を上手く分析していたようです。マルタンマルジェラについてのnoteも今後別で書くかもしれません。
今回はこの辺で。次は後編へ続きます。
ではでは