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バルナックのプレート

僕のところに来たバルナックライカDⅢの事について今回は書きます。
先日、Upした記事でも書いたけども僕が購入したDⅢは札幌の三越内にあるカメラ・コレクションというお店で購入したものです。
僕がそこで購入したDⅢにはお店に置いてある他のバルナックライカとは一つ異なる部分があって、それは背面に金属のプレートが付いていました。

一応お店の人にプレートについて伺ったのだけどおそらくどこかの会社の所有プレートではないかとの事でした。
昔のカメラにはプレートが貼られている事がよくあり、珍しくはないとの事でした。
なのでプレートには文字の跡がうっすらと見えましたがその時は確認せず、そうなのか位にしか思いませんでした。

購入してホテルにチェックインして部屋でDⅢの状態を確認していくと外観はかなり程度が良く、動作もその時点では問題もないものでした。
というか巻き上げスプールには塗装の剥がれもない。
スプールはオリジナルではないのかと思うほどです。(一応Germanyの刻印はありますがやはりオリジナルではないかも)
裏蓋の程度もよく塗装剥がれも最小限。
フィルムを通してはいませんがかなりの良品でした。

そしてようやくプレートが気になり確認しましたが文字がよく見えない。
老眼ではないのですが目視ではかなり厳しかったのでiPhoneで撮影して拡大してみると、ようやく何が書かれているのかわかりました。
プレートに書かれていた文字は「FOTO GREGER」という文字でした。

早速、Webで検索したところどうやらポーランドのカメラ販売会社である事が判明。
ここまでで一旦、調べるのをやめて翌日の仕事に取り組みました。
そして週末の長岡行でのテスト撮影を終えて今に至るのですが、改めて「FOTO GREGER」について調べてみました。


戦前からあるポーランドでは有名な写真機販売会社だったようです。
よく調べてみると、FOTO GREGERを設立したカジミエシュ・グレーガーという人は、ポーランド最大の写真会社を設立して、今日までポーランド人の家庭に残っている真鍮の「フォトグレガー」プレートが付いた数千台のカメラ、そしてポーランド写真の発展への数多くの貢献を残したとの事です。
また1939年にドイツがポーランドに侵攻してからは占領中、カジミェシュ・グレーガーは地下活動家に奉仕しておりおそらく1939年以降にライカは取り扱ってないかもしれません。

そして僕のDⅢは1938年製、1939年にドイツがポーランドに侵攻するので正にその前年で
激動の時代に販売されたカメラだった事がわかりました。
1938年にドイツで生産され、ポーランドのGREGER社で販売されて第二次世界大戦を経て、極東の日本で僕の手元にあるというこの奇跡に本当に驚きました。

長岡では山本五十六記念館を訪れましたが、そこで1938年の展示がされており、この年に作られたカメラなのか、当時でここまで精度の高いカメラを作ったライカはすごいメーカーだなと改めて思いました。
カメラを通して激動の時代について改めて知る事が出来たのはとても良かったです。
大切に使っていきたいと思った次第です。

https://www.optyczne.pl/510.1-artyku%C5%82-Foto-Greger_-_historia_zapomnianej_pot%C4%99gi.html

https://www.optyczne.pl/510.1-artyku%C5%82-Foto-Greger_-_historia_zapomnianej_pot%C4%99gi_Rozdzia%C5%82_1.html

これがプレート



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