人から施しを受ける独学者
自閉症傾向のある私は、経済的に中の下くらいの暮らしをしています。下の上くらいかも知れません。そこで人からもらえるものは割ともらいます。しかしこれは経済的な問題にだけ起因するのではありません。
私はもう10年くらい傘を買ったことがありません。長い傘を1本も持っておらず、人からもらったお古の折りたたみ傘をずっと使っています。その傘もさすがに壊れており、傘を開いたり閉じたりする金具の部分が壊れているので、毎回使う度に手から少し出血するという悲運を背負って暮らしています。
そのほか、服も人からもらったものを着ていることが多々あります。7,8年くらい着ている一張羅のコートは、同居していたアメリカ人が国へ帰る時にもらいました。ポケットに穴が開いてはその度に裁縫して直しています。
私が人からの施し物で暮らしたいと思うことには、理由があります。
まずひとつには、シンプルにお金がかからないからです。これは説明不要ですね。
ふたつめには、「自分で選んだものを自分が使うことがつまらない」と思うためです。
これは自分のなかに根深くある感覚なのですが、自分自身でいることは基本的に退屈なことだと思ってます。
自分の行動パターンは自分でだいたい分かってきますし、好きなものを自分で選んで行ったら似たようなものばかりを選びがちです。
自分に自信がないから他の人のセンスを信頼する、というのとは少しちがいます。人からもらったものが微妙なセンスだったとしても、それはそれで良いのです。自分が自分の意思で行為する分には一生選べないものを他の人に選んでもらうということは、自分以外の別人になるという驚きに満ちた仮想体験なのです。
私としては、誰かが私に新品の物を与えて欲しいというよりも、誰かがその人自身のために買ったものをお下がりでもらう方が、よりその人らしさを仮想体験できるので好きです。
私は自分自身に退屈しています。だからこそ、自分以外のものや人や動植物が存在してくれていることに感謝しています。
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