クリエィティブな力はつけるものじゃなくて取り戻すもの

クリエィティブな力が求められている、と言う。そしてクリエィティブな発想をするには、どのようにしたらいいか?という学びが発生している。

今、決められた形にハマるだけでは先が見えないということがたくさんある。働き方、会社組織、アイデアやマーケティングも含めて、問いに答えるのではなく問い自体を生み出すようなクリエィティビティを、ということが常に言われている。

形にハマらず、最も問いを生み出し続けているのは誰だろう、と考えると、どう考えても子どもたちである。彼らは当然、型がないのだから形にハマらず、初めて見るものばかりなのだから、聞きたいことが山ほどある。

企業がマーケディングの参考に、子どもたちにアイデアを求める、なんてことはかなりセンスの良い対応策の一つだと思う。型にはまらず、どうしたらたくさんの人に届けられるか、という意見を乞う。

そう思うと、私たちは、子どもたちに、なにをどう教えるべきか?をやっぱり再考する必要があるように思う。型は必要だ。なんのために?そして、どれくらい?何は最低限で、何は要らないの?

これは、突き詰めたら、尊重の話なのだと思う。相手の感性をどんなふうに尊重するか、というレベルの話。そして、尊重された感性は失われることなく発展していく。 

クリエィティブな力は、もともと備わっていたんじゃないか。そう思ったら、それを取り戻すには、自分の感性を、自分がまず大事にすることじゃないのか。
茨木のり子さんが、「自分の感受性くらい、自分で守れ」と言った。これが大人の責任なのだと思う。そして自分の感受性を守っている大人が周りにいることで、子どもたちの感受性は守られる。

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