橋本 直也

高校教員(国語) 陸上競技 マラソン かつては、大学陸上競技部で主務をやってました。

橋本 直也

高校教員(国語) 陸上競技 マラソン かつては、大学陸上競技部で主務をやってました。

最近の記事

授業に「活動」を

考えていた課題について、ひとまずの「中断」ができたので、まとめて書いておこうと思います。千葉雅也さんの『勉強の哲学』の「中断」ですね。書き出さずに次の問題にとりかかったら、何も残りそうもないので。 はじめに休校が続くなかで、様々な議論がありますが、その根幹にあるのは「教師の存在意義」が問われている気がします。例えば、「オンライン授業」。確かに、うまくやれる可能性もありますし、知識伝達という側面だけならば、より「効率的」なんだろうと思います。 でも、教員はそこに「感覚的に」

    • 休校中「だから」考えてほしいこと

       休校が続くなかで、教員は自らの存在意義を問い続けていると思う。つまり、対生徒ではない形(少なくとも対面形式ではない形)で、どれほどの仕事ができるかを考え続けているわけだ。もちろん、日ごろから学び続けている教員は、この時間を有効に使い、授業研究や興味関心のあることをより深く考えているだろう。しかしながら、この先が見えない日々のなかでモチベーションを保てなくなっている、もしくは日々変わる状況のなかで対応に追われてしまっている感じが強くなってきたと思う。(少なからず私は、モチベー

      • 一発ギャグと「実用国語」(メモ)

         昨年から、新共通学力テストや新学習指導要領などの教育改革が話題となっている。学校現場は、新たなニュースにバタバタするばかりであったと思う。現在のコロナに対しての「休校」の急な要請に対しても、場面は違えども、「共通テストの廃止」や「記述式の廃止」に対しての動揺と何か似たものを感じた。  さて、そのなかで「国語」の改革が注目されている。(自分が国語の教員なので、その話題に敏感になっているだけかもしれない)ここでは、今日ふと思いついたことを述べたい。  今日「山田玲司のヤング

        • 職員室の雑談~「遅いインターネット」を受けて⑵~

          I先生:じゃあ、その時代背景っていうのが何かって言ったら、「カベ」が関係するんだと思う。これを「価値観」という風に置き換えられる。なぜかというと、「カベ」というのは、あくまでも抽象的なモノ・コトが具体化したものに過ぎないわけなんだよね。その「カベ」が時代を象徴しているならば、時代とともに「破壊」され、時代とともに「構築」されていくモノ・コト。それはまさに「価値観」ではないかと思う。 橋本:確かに「ベルリンの壁」も決して「カベ」が先にあったわけではないですしね。「価値観」とい

        授業に「活動」を

          「走ること」と「考えること」~宇野さんと西本さん~

           学校の組織は学年単位で動くことがほとんどだ。そのため、朝の打ち合わせの後に、学年ごとの打ち合わせを行う。その打ち合わせの際に、学年主任の工夫で、その日の連絡事項や日程などをプリントしたものを配ることがある。ただ、そんなのを配らなければいけないほど複雑な行事などはそうそうないし、また細かい連絡事項は自分でメモをするので、正直紙の無駄だなと思っていた。しかし、今所属している学年の主任Iさんは、そこに自らのコラムを展開した。日々、本当に素朴に思っていることや、ふと思いついたことな

          「走ること」と「考えること」~宇野さんと西本さん~

          職員室の雑談~『遅いインターネット』を受けて⑴~

          橋本:先生は、この本を読んでどう考えましたか? I先生:俺がロスジェネ世代だっていうことで、「自由」と「カベ」という言葉に興味を持ったね。俺たちは、そこに線引きされた方が、生きやすいというのが本音だろうし、大衆社会での象徴でもあるしね。というのも、「自由」という生き方が許される「自由」度であったり、「自由」に意味を持たせるには、その時代背景が絶対に必要だと思うんだよ。その一方で、「カベ」(枠のなかで行動を制限するもの)のなかでの「自由」は、「自由」ではないんじゃないかな。

          職員室の雑談~『遅いインターネット』を受けて⑴~

          職員室の雑談(予告編)~『遅いインターネット』を受けて ~

          ロスジェネ世代の先輩 教員の世界にとって、「ロスジェネ世代」はまさに「失われた」世代である。大量採用の時代が終わり、県内でも教員の採用が一桁であったことを考えれば明らかだろう。しかし、彼らはまさに「少数精鋭」の世代である。僕自身も仕事を教えてもらったり、ともに仕事をするなかで、彼らの影響で価値観が変わってたことが多くあった。現在、彼らの世代は、管理職へのなりてが少なくなっていることもあり、県に集められている人が多い。直接聞くと、「現場がよかった」という人がほとんどであるのだが

          職員室の雑談(予告編)~『遅いインターネット』を受けて ~

          洗濯機を回すこと、もしくは白菜を炒めること

          やり始めることが大事風呂に入る前に洗濯機を回すのが習慣だ。そのときに、洗濯物がやたら多いなと感じることがある。しかし、勇気を出してスイッチを押して待つと、量はそれほどでもないことがよくある。また、先日すき焼きを作ろうとして白菜を切っていたときのことだ。こんなに大量の白菜なんていらないんじゃないか、と思ったら、料理をしていくうちに適量になっていく。なんとなく、この2つの出来事は似ていると思った。 とにかく書いてみる今僕はまとまった文章を書こうと思っているのだが、「誰かに読まれ

          洗濯機を回すこと、もしくは白菜を炒めること

          ディストピア的風景と銚子

          銚子、そこは地の果て昨年の春から銚子に勤めている。転勤先を聞いたときは、いろいろな意味でギョッとした。まさか、でもあったし、「魚」がうまそうだなとも思った。(ちなみに僕が銚子に勤めて最初にいったランチはかっぱ寿司だ。地元の店に入るのはなかなか勇気がいる) 銚子というと、犬吠埼の初日の出なんかが思い出されると思う。しかし、それは要するに地の果てだということだ。もちろん、千葉は外房も内房も海に囲まれているから似たようなものなのだが、銚子はちょこんと太平洋に出っぱっているので、なん

          ディストピア的風景と銚子

          生活感と走ること、歩くこと

          新興住宅街の箱庭感への恐怖最近、高い建物が不気味に感じる。なんだかこの世にはあってはいけないような、人工的な不気味さが感じられるようになった。そう思ったのは、印西市の観覧車を見たときだった。八街や酒々井の畑のなかを車で走った後に、ふと見えてきた新興住宅街のなかにその観覧車はあった。なんだか、箱庭のなかの世界に入ってきてしまったかのようなそんな気がした。 生活を感じること僕は大学時代、1週間もない帰省のなかでこんなことをしていた。(いろいろな事情はあったが)漫画喫茶に荷物を置

          生活感と走ること、歩くこと

          なぜノートの最初のページはきれいに書くか。

           noteを始めてみてよ、と職場の先輩であるIさんに言われた。何かを企んでいる顔をしながら言ってきた。どうやらなにか面白いことがしたいらしい。Iさんは、自分自身がまず娘さんにTwitterとInstagramを教えてもらったと報告してきた。そこまでやられたら、僕もやるしかない。  とはいったもののの、この数日下書きを書いては消し、書いては消し・・・という作業を繰り返している。本当に自分は国語の教員なのか、と自分を疑う。そのときに、ふと思う。なぜここに書く人たちは、こんな生き

          なぜノートの最初のページはきれいに書くか。