職員室の雑談(予告編)~『遅いインターネット』を受けて ~

ロスジェネ世代の先輩

 教員の世界にとって、「ロスジェネ世代」はまさに「失われた」世代である。大量採用の時代が終わり、県内でも教員の採用が一桁であったことを考えれば明らかだろう。しかし、彼らはまさに「少数精鋭」の世代である。僕自身も仕事を教えてもらったり、ともに仕事をするなかで、彼らの影響で価値観が変わってたことが多くあった。現在、彼らの世代は、管理職へのなりてが少なくなっていることもあり、県に集められている人が多い。直接聞くと、「現場がよかった」という人がほとんどであるのだが、僕は「ロスジェネ世代」こそが教育を現場レベルで変革するのだと考えている。

 余談ではあるが、「ゆとり世代」と言われる僕の世代(1990年生まれ)は、「ロスジェネ世代」にちょっとしたあこがれを持っていると思う。例えば、僕は中学時代から「ASIAN KUNG‐FU GENERATION」が好きなのだが、まさに「ロスジェネ世代」のバンドである。

「暗いね」って切なくなって「辛いね」ってそんなこと言わないで「暗いね」って君が嘆くような時代なんてもう僕らで終わりにしよう(ASIAN KUNG‐FU GENERATION「さよならロストジェネレイション」)

 この歌を聞くたびに、僕の前に歩く世代のことを考える。そして、僕たちはどうやってそれに答えるべきなのかを。先ほど「あこがれを持っている」といったが、正直に言えば「あこがれしか持っていない」のだ。もし、仮に「ロスジェネ世代」がこの時代の閉そく感を終わらせてくれたとしても、僕たちはそこから何か新しい価値観を生み出す意識は持っていないと考えている。夏休みの宿題をやらなければと焦っていながらも、何もしないような、「焦り」を感じながらも何もできない、それが今の「ゆとり世代」だと思う。

同世代として感じること、後の世代だから感じること

 さて、その「ロスジェネ世代」の学年主任Iさんに、ちょっとしたきっかけで『PLANETS vol.10』を貸した。すると、宇野常寛さんと同い年、出身大学も同じ、さらには浪人経験まで同じということでシンパシーを感じたのか黙々と読んでいた。ちょうど、戦争についても考えることが好きな方なのでそこらへんもヒットしたのだろう。

 僕はといえば、自分が中学生や高校生のときに感じてきた時代の空気が、『ゼロ年代の想像力』ではっきり分析され言語化されていたのを読んでから宇野さんには影響を受けっぱなしである。国語の定期試験や授業でも使わせていただくくらいだ。ただ、先ほどのアジカンの例ではないが、正直自分のなかで「影響をうける」だけで終わってしまっては仕方ないのだとは常々感じる。(が、何もできていないのが「ゆとり世代」かもしれない)

 『PLANETS vol.10』を読んだ後に、「他の本も貸してよ」と言われたが、僕は正直躊躇した。なぜなら、サブカルチャーを論じたものにはあまり興味がなさそうだったからだ。僕に影響を受けて村上春樹を読んでいたので、『リトル・ピープルの時代』かなーと思っていたら、『遅いインターネット』が出版された。Iさんは、以前「オリンピックが他人事のように思える」と述べていたので、これだ!と思い、僕が読んだ後にそっと机の上に置いておいた。「もう一度読み直さなければ」と思って早く返してくれよと思っていたが、返却されたのは1週間後だった。ただ、返却された本の下にはワードでびっしりと打ち込まれた紙が添えられていた。合計4枚のその紙には、『遅いインターネット』を受けて考えたことが書かれていたのだ。

 僕はそれをもとにIさんと対談をしようと考えた。『遅いインターネット』から、僕が考えたこととIさんが考えたことをすり合わせて、この世界をより深く理解できればよいと考えている。これから、何回かに分けてその「職員室の雑談」を書いていく。ちなみに「雑談」とタイトルをつけたのは、僕もIさんもめちゃくちゃ考えて話しており「教育」にもつながる話題なのだが、周りの職員からは「ちゃんと仕事しろよ」という冷たい目を感じるからである。

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