ディストピア的風景と銚子

銚子、そこは地の果て

昨年の春から銚子に勤めている。転勤先を聞いたときは、いろいろな意味でギョッとした。まさか、でもあったし、「魚」がうまそうだなとも思った。(ちなみに僕が銚子に勤めて最初にいったランチはかっぱ寿司だ。地元の店に入るのはなかなか勇気がいる)
銚子というと、犬吠埼の初日の出なんかが思い出されると思う。しかし、それは要するに地の果てだということだ。もちろん、千葉は外房も内房も海に囲まれているから似たようなものなのだが、銚子はちょこんと太平洋に出っぱっているので、なんとなく「果て」な感じが強かった。

世界の終わりを感じられる場所

転勤後、銚子市内の至るところをジョギングしているが、特に夕方の外川を走るときは本当にこのまま世界が終わってしまうのではないかと不安になってしまう。漫画『惡の華』で最後に外川駅が出てきたときは、まさにその雰囲気を感じたのだろうなと思った。

なんだかここまで書いてきて、銚子のことがめちゃくちゃ嫌いで蔑んでいるように思われるかもしれないがそうではない。むしろ、個人的にはそんな「世界の終わり」を感じさせるダークな銚子が好きだ。それは僕が1990年生まれで、ディストピア的風景になんとなく魅力を感じてしまうからかもしれない。先日、新興住宅街の箱庭的な不気味さについて書いたが、それとはまた異なる不気味さである。言ってみれば、文明が終わって取り残されてしまった感覚である。そして、サブカルチャーの世界ではそこには必ずしぶとく生きている主人公たちがいるのだ。

ごみ処理場と河津桜

こんなことを書いたのは、昨日ジョギングをしているときにごみ処理場のなかの、河津桜に目を奪われたからだ。とんでもない量のゴミの山と対照的な鮮やかなピンク色。走りながらも不思議な感覚に陥った。それは、先ほど述べたサブカルチャーの世界にも似ているのかもしれない。

※noteとしては、そこの写真があれば「映える」のであろうが、ジョギング中だったし、写真を撮る趣味はないので載せられない。誰か写真を撮りにいってください。

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