休校中「だから」考えてほしいこと

 休校が続くなかで、教員は自らの存在意義を問い続けていると思う。つまり、対生徒ではない形(少なくとも対面形式ではない形)で、どれほどの仕事ができるかを考え続けているわけだ。もちろん、日ごろから学び続けている教員は、この時間を有効に使い、授業研究や興味関心のあることをより深く考えているだろう。しかしながら、この先が見えない日々のなかでモチベーションを保てなくなっている、もしくは日々変わる状況のなかで対応に追われてしまっている感じが強くなってきたと思う。(少なからず私は、モチベーションが保てなくなってきた)そもそも、生活が脅かされているわけで、気が気でない。一方生徒は、どのようなことを考えているのだろうか。教員でさえ落ち着かない日々が続くのだから、なおさらだと思う。

 さて、今回の記事のテーマは、「休校中『だから』考えられる」である。といっても、具体的なテーマがあるわけではない。生徒に社会を考えさせるチャンスなのではないかと考えている。先日、「物事の考え方」の授業の準備をしている際に、「違背実験」というキーワードが出てきた。これは、「日ごろの当たり前の行為をやめたときに、どのようなことが起こるかを試す」という実験である。今まさに私たちは、「学校」という当たり前だと思っていた(もちろん学校だけではない。日常生活は緩やかに当たり前がなくなっていっている)ものが、なくなっている状態だ。おそらく、生徒のなかには「学校に行きたい」という思いを持つ者が多いだろう。しかし、思考をそこで終わらせてしまってよいものだろうか。今、生徒たちは日ごろ遥か彼方に感じているだろう「社会」というものに、素肌で触れているわけなのだ。これほどに、社会を考えるチャンスはないだろう。

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