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拉麺ポテチ都知事33「Meと君で韻踏み」

また少し更新が遅くなってしまった。今さら感があるが、ウィル・スミスの件は「弱者を守る」というポリティカル・コレクトネスを以って脊髄反射的に反応した結果、世界的に見ると「暴力を振るってはいけない」とか「男性が女性を守るのは前時代的」という別角度のポリコレに反していることを知り、身を翻すことになった人は多いのではないだろうか。

何事もよく考えた方がいいし、熟考した結果なら社会正義に反しても貫けばいい。ポリコレは結局、周りの目を気にする偽善的な行為だと思ってしまう。それから「日本的ナルシシズム」という言葉も踊ったが、それが正解だとして翻弄されるのはおかしい。

それなら「なぜ東京にいる外国人英語話者に日本語を話す気がない人が多いのか?」問題もあるはずだ。あれは英語話者的ナルシシズムというか、英語至上主義的だと感じるのは私だけではないだろう。それが悪だというのではなく、人やクラスタを悪く言おうと思えば何とでもできる。それに対して、いちいち右往左往することに疑問なのだ。

海外の人に日本人批判をされたら、すぐもてはやすのでは品がない。そして、大体それらの問題は「礼」に行きつく。それだけの話をあれこれ言い散らすのではなく、まず礼を以って他人と接するべきだとは個人的には思う。

さて、さらに今さら感があるのだが、秋元修くんの「电影都市夜行」に客演参加したことを書き忘れていた。秋元は私の後輩で、showmoreの井上くんとトリオで山梨で演奏にもよく行っていた時が懐かしい。まだまだ大学を卒業したばかりだった彼も今となっては私よりも出世してしまい、恐縮するばかりだが、未だに話すと音楽的にも人間的にも気が合うレアな仲間である。

今回のプロジェクトは、そんな彼が「中華ポップを作るので、サキソフォンとラップをお願いしたい」ということで喜んで協力した。個人的にサックスのレコーディングは久々で少々悔しい気持ちもあったが、ラップの方は自分のなかでも一番に近い良い内容にできたと思う。それに私はもともと「夜行」ネタに関して、かなりの自信があった。

自分で自分の創作を解説するのは野暮に繋がる可能性もあるが、キャプション程度に自己分析していきたい。

あれは幻影だったのか
電影都市貸しきる
スクランブル俺だけ
誰もいないアフター8

The day of the world stops
暇潰しブラつくさ
駅前のvideo girl
「どこにいきましょう?」
夜に駆ける

まず冒頭部分。トピックは緊急事態宣言時の時に自転車で徘徊した渋谷と「电影都市」をダブらせたフィクションとも否とも言えないものになっている。厳密に言うとアフター8関係なく人がいなかったが、あれはまさに「The day of the world stops」だった。video girlはもちろん、桂正和『電影少女(VIDEO GIRL AI)』から。

なぜ暇つぶしでブラつくのかと言えば、フジファブリック「花屋の娘」を引用しているからだ。最後の部分はYOASOBI「夜に駆ける」に影響されたわけではなく、当初<夜を駆ける>にしていたのにレコーディングで誤って歌ってしまった結果である。

リズムは自分で分析して驚いたが、いきなり<げんえいだ・ったのか〇>と5連で始まる。それ以降も頻出する(<ブラつくさ>もそう)ので、恐らく私はこのラップで5連を試したかったのかもしれない。

そこらじゅうが店仕舞い
AIも当てになんない
不便 but free
解き放つinner me
連れてくよ君

この部分は店が閉まっている渋谷の光景だ。開店に際して花束のなかでうずくまっていた店主を私は忘れない。また、もちろん食べログは機能しないので、スマホは頼りにならない。それは不便だが自由を意味する。

そして個人的な発見だったのは、meと君で韻が踏めることだ。これが分かったら「君と僕」とか「俺と君」という表現はかなり陳腐になるだろおお、と思わずガッツポーズした。ぜひ試してもらいたい。

ブラブラブラ
それっぽい正義よりも
ブラブラブラ

肝要は寛容 of
ラブラブラブ
まじたりないたりない
たりないたりない

ここら辺はアンチポリコレ。AIと一緒にいるが、愛が足りないということだ。ブラブラがラブラブに転がるのは、THE YELLOW MONKEY「プライマル。」からの引用になっている。まじたりない以降が3連符になっていて、拍を跨ぐのもポイント。

こだまする寒いプロパガンダ
抜き去りながら
鳴らせ自由のキック ei
ハイハット刻め ei
スネアも効かせ ei

誰もいない渋谷で「東京都民の皆さんにお願いです」という小池都知事のアナウンスがひたすら大型液晶から流れていた光景を思い出しながら書いたライン。<プロパガンダ/抜き去りながら>で踏みつつ、自由の鐘ではなく自由のキックを鳴らすという内容だ。「みんながこう考えなくてはいけない」と悪意なき反対意見を封殺する流れに断固反対である。

boom clap boom boom clap
踊る華麗にストリートで
boom clap boom boom clap
光る画面ミラーボールだね

一気にラップのビートを半分に落として緩急をつける。誰もいない渋谷で踊るAIをぼーっと観ている風景を想像してほしい。

輝きを増すlady
振り向けば
液晶の中、ふいに消えてった

最後もリズムは半分のまま、3声のハモリになる。そのまま「花屋の娘」の様に消えていくAI。愛や意味なくして残るのは大体、虚無だ。それはポリコレでもいいし、課金ゲームでも、マッチングアプリでもいい。無が無駄とは言わないが、あのやるせない気持ちはできれば味わないほうが精神衛生上、良いと思う。

そして渋谷をブラつくトピックなら、Shurkn Papのドライヴとか、宇野千代の東郷青児ネタなみに色々書ける気がする次第だ。

以上がリリックのざっとしたキャプションである。これ以上の考察はそれぞれのセンスにお任せしたい。そして、できれば自分で自分を語るよりも、誰かが語ってくれる日が来ることを願う。同時に私は誰かにとって、そんな存在でありたい。

今、コーチェラの生中継を観ている。誰もマスクしていないじゃないか。日本は1週間で平均50000人の新規感染者数に対して、米国は212,751人。それなのに外国は軒並み規制撤廃ムードである。データからしても「日本や故郷・山梨県のコロナ対策って何なん?」と考えることは陰謀論なのだろうか。思考停止も甚だしい。マスクしない方がよっぽど「みんなのため」だ。

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