43歳、趣味がない

43歳、趣味がない。

ゴルフもしなければ、ゲームもしなければ釣りもしない。

盆栽をいじるには少し早いし、キャンプに行く気力はない。

仕事に没頭し、会社と家の往復で気づけば定年。あとはゆっくり余生を過ごす。

そんな人生もかつてはありだった。

だが、平均寿命が伸び、人生100年時代ともいわれる。医学の進歩は目覚ましく、死にたくても死ねない時代がそこまできている。仕事一筋では、あまりにも人生は長すぎる。

進歩したのは医学だけでない。
多くの人がうすうす気づいているだろうが、仕事の現場でだって様変わりしている。

2022年に公開された対話型AI「ChatGPT」の登場によって「自分の仕事がなくなるのでは…」と危機意識を持った人も少なくないはずだ。

自然に会話ができ、翻訳も数秒でこなす。仕事に必要なレポートの下書きもうまく書いてくれる―アナリストやITエンジニア、ライター、教師、行政書士などホワイトカラーの大半の仕事は代替可能になるという報告すらある。

医師や弁護士、会計士も例外ではなく、すでに画像診断などでは医師よりもAIの方が適切な診断を下せるとの指摘もある。

つまり、ホワイトカラーは一部を除けば「用なし」になりかねない。仕事にやりがいを求めることが多くの人にとっては贅沢になるだろう

テクノロジーがいかに発達しても、一次産業は安泰との声もある。

とはいえ、どうだろうか。40,50代で今から「よーし、明日から農業やっちゃうぞ」「昔から漁師になりたかったんだよね」といって転身できる人はほとんどいないだろう。

私たちは仕事以外に楽しみを見つけるしかないのだ。

かといって、アグレッシブに車を走らせてソロキャンプに行くような人はすでに自分なりの楽しみを見つけているだろう。

膨大な時間とどう向き合うか。


もう、酒を飲むしかないのではないか。


「何を言っているんだ、論理が飛躍しすぎだろ」と思われるかもしれないが、多くの社会人にとって、少なくとも今、この文章をここまで読み進めてしまった人にはもはや酒を飲む道しか残ってないのではないか。

思い出してほしい。

雨の日も雪の日も酒を飲んできたのではないか。酒を飲んで親睦を深め、酒を飲んで憂さを晴らし、酒を飲んで異性を口説いたのではないか。

今更、変わりようがないではないか。

確かに最近は酒を飲まない人が増えている。

私の周りでも40歳を過ぎてから、酒を飲むのを止めたという人もちらほらいる。

「もう酒を飲んで仲を深める時代ではない」

「酒を飲まなくても飲み会は楽しめる」

そんな声も聞こえてくる。

馬鹿言うなと叫びたい。飲み会で酒を飲まなければもはやそれは飲み会ではない。

コロナ禍を経て、飲み会を欲する人たちも増えていると聞く。

Z世代の間でスナックブームが起きているし、昭和のノリの飲み会を希望している若者も私の周りにもいる。

もちろん、暇になるから酒を飲み続けろといっているわけではない。

「酒は百薬の長」は今は昔。少しでも、飲むと体に悪いとも最近はいわれている。

だが、別に酒を飲もうが長生きする人はするし、飲まなくても早死にする人もいる。

健康を気にするあまり、長生きできれば死んでもいいでは本末転倒だ。実際、私の友人や知り合いの医療関係者はみんな酒を飲む。

酒の効用を見直したらどうかという提案である。

この空虚な時代こそ酒が私たちに人間らしさや活力を取り戻してくれるのではないか。

江戸より前の時代では酒はハレとケの日をわける重要な役割を担っていたではないか。

そこまでさかのぼらなくても、この数十年の酒文化を見直すだけで、私たちが失ってきたさまざまなものを取り戻せるのではないか。

酒を飲まなきゃやっていられない時代にいきているのだから、酒ともう一度向き合ってみようと新年早々思うのであった、とまとめてしまったら、それはあまりにも酒飲みの弁明に過ぎないのだろうか。


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