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型にハマらず、ふらふら生きる効用

小学生のころ、運動会などの代休の平日に都心に出ると、何をしているかよくわからないふらふらしたオジサンをよく見かけた。

スーツを着るわけでもなく、店を構えて商売をしているわけでもない。反社会的な出で立ちでもない。別に小汚い恰好をしているわけでもないので、それなりに稼ぎはあるのだろう。親に連れられて、百貨店のレストランに行くとそうしたおじさんが昼からビールをガバガバ飲んでいることもあった。平日の昼から酒なんて飲むなよと幼心に思ったものだ。うーん、この人たちはどうやって生活しているのだろう。

世間を知らなかったとはいえ、大人はまじめに会社に行くなり、自営業なりで働くものと思っていた少年は、「こんな大人にならないぞ。大人になったら額に汗して、ちゃんと働こう。酒なんて絶対に飲まないし!」と思ったものだった。もちろん、それから三十数年後に、泥酔しながら、ふらふら生きることになるなんて、当時の私の品行方正ぶりから考えると周囲の人間は誰一人想像できなかっただろう。たぶん。
 
ふらふら生きる人生は社会的信用はよだれを垂らしたチンピラと変わらないが、ふらふらはふらふらで利点もあり、あまり考えずにいろいろできる。敏腕編集者の中野亜海さんと飲んだノリでポッドキャストをはじめたのもそのひとつである。

思えばここ数年、酔っ払いや偉人について書いてきたが、考えてみれば企業取材をふらふらしながらとはいえ20年くらいしていたのだから、こっちが本筋といえば本筋なのだがそれをノリでやるあたりがふらふらの真骨頂なのかもしれない。


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