「終わることを考えた言葉」
「何事にも終わりが来ること」「始まりがあれば終わりがある」、
そんなテーマから思ったことを書く。
僕がこのテーマから連想するのは、生と死、出会いと別れであったり日常的なことだ。身近な人の死、建物だと、軍艦島や空家など、時間と共にそれらは朽ちていく。ごくごく当たり前なことだが。読んでいる人は何を連想するのだろう。
そういった光景に対して、思い馳せるのは自分だけなのだろうか。
目に見えているもの、出来事を含め、いずれ朽ち果てていく。
一見、ネガティブに聞こえるが、自分には真逆に感じたりもするのだ。
それは終わりがあると思うからこそ、今と向き合えるからだ。
人間がしていることは、”何か”と維持しようと努めることが多いように感じる。
(修理、修繕、補修等々)
ニュアンスと違うかもしれないが、個人としては写真を撮ったりすることも、その瞬間を留めたいとか、日焼け止めを塗って、皮膚が焼ける進行を遅くしたり。
ただ、これらが良い悪い云々、いつかはどこかのタイミングで終わってしまう日がやってくるのだ。
今と向き合うというのは、日々の変化を感じるということ。
時間と共に、人も周りの環境も全て動的平衡している。
『日々の変化』
四季の移ろい、料理の味の違い、自分自身の感情の変化。
雨の音、フライパンで何かを焼く音、会話している相手の音。
空の色、野菜の色、皮膚の色。
そういったものに僕は美しさを感じてしまう。
いつまでも残り続けたり、永遠は本当にあるのだろうか。
あと何回、満月を見ることができるだろうか。
この文章もいずれ消えてしまうのだ。
そして、終わってしまった時に、”それ”が本当に大事なものだったのかを知るのだろう・・・
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