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クリエイター(被写体)としての一歩目

昔からずっと、クリエイターに憧れていた。
なにかを生み出すって、すっごくかっこいいと思う。

絵を描くこと、物を作ること、表現することも全て。
それはどこまで行っても自分にはできないと思っていた。

そんな中で、今日初めて「俺ってクリエイター!?」と思えた。
これはその記念のような記事。
クリエイターの在り方と、私のこれからについても書きたい。


活動を始めた日

私は半年と少し前くらいから、被写体としての活動を始めた。

初めた理由は、「これからの人生の中で一番若くて綺麗な今を残したい」という気持ちや、「ずっと家で仕事していて誰にも存在を知られない虚しさから解放されたい」といった、ほんの小さな動機だった。

モデルやアイドルになりたいといった大きな夢があるわけでもなく、誰よりもカッコいい自信があるわけでもなく、特別なファッションを自慢したいわけでもなかった。
だから細々と始めた。
誰のために、何のためにしているかもよく分かっていなかった。
ただ少し、余所行きの恰好と表情で綺麗な自分が残せたら嬉しいと思った。

そんな、目標もなく始めた活動だったけど、気づけばどっぷりハマっていた。
写真の撮り方を説明した記事や書籍は多くあるが、撮られ方が書かれたものはほとんど見当たらない。だから手探りで成長するしかなく、その手探り感により一層惹かれた。
撮られれば撮られるほど新しい気づきを得る。たまらなく楽しい。
そして撮るたびに思い出がひとつ形になる。そしてその場に居ない誰かと共有できる。最高。

それに、活動を始めて、撮られる事を意識して、写真について考えることで、他人の作品に対しての見え方も変わってきた。
これまでは写真を見る時なんて、被写体の顔が良いかどうかくらいしか判断基準がなかった。
それが今では、「なんでこんな自然なポーズができるんだ」「なんだこの光の取り入れ具合神かよ」「この表情ずるいなあ」なんて、ポンポンと感想がでてくる。
それを糧にまた成長する。

そうやって楽しく被写体活動を続けてきたが、「何になりたいの?」と問われるとまだ明確な答えは見つかっていなかった。


クリエイターになれた日

明確な目的などなく、なんとなく活動を続ける日々の中で「俺ってクリエイター!?」と思えたのは、私の事を全く知らない人が私を高く評価してくれたからだ。

これまで私の写真を見る人と言えば、友人か、ネット上で繋がったカメラが趣味の人くらいだった。
見ず知らずの人が被写体としての私を応援してくれることはなかった。
それも当たり前で、SNSを頑張っているわけでもなく、見てもらえる工夫もなく思い出フォルダの代わりにインスタに投稿しているだけだった。
それもそのはず、この活動に目的が無いのだからしょうがない。

目的が無いとはいえ、応援してくれる友人の存在は大きかった。
私は単純な人間なもので、「いいね!かっこいいね!」と言われればシンプルにやる気がでる。それは活動を続ける理由には十分だった。
そうして活動を続けていると、随分と写真も溜まってきて、思い出フォルダとして活用してきたインスタも被写体としての立派なポートフォリオになっていた。

そのポートフォリオを元に友人が知人に私をオススメしてくれたことで、これまで存在しなかった「見ず知らずのファン」が誕生した。
その人と直接会っていないが、こう伝えられた。
「もうモデルじゃん!ファンここにいます。」「写真引き伸ばしてポスターにしたい。」
・・・なんて最高な誉め言葉だ。
そのおかげで、「俺ってクリエイター!?」と思うことができた。

私の内面も知らない、活動理由もしらない、会った事もない人。
そんな人が私の写真を見て感情に変化があり、応援したい!と思ってくれたのならば、それはもう作品をクリエイトしたといっても良いだろう。

だから私はその瞬間、クリエイターになったのだ。


次の挑戦

「私はクリエイターだ」と自負すると新しい欲が湧いてきた。
もっと多くの人に知ってもらいたい気持ちや、もっと多くの作品に関わりたいという気持ちだ。
まず手始めに、何かしらのモデルになりたいという考えが浮かんだ。
「何かしらの」というザックリしたあたりが自分らしいとも思う。

この考えに至るには別の理由もあった。
友人が「もっと布教活動したい」「待ち受けにしたい」などと言ってくれる一方で、何者でもない私を推す事への抵抗感があるようだった。
もし私を待ち受けにしていて、それを友達が見て「だれ?」と尋ねた時に、「友達だよ」とは言いにくいだろう。ストーカーみを感じるかもしれない。
だから私は、何者かになろうと思った。
友達に胸を張って「推しのモデル!」と言ってもらえるように。

それはローカルなものであってもいいし、非営利なものでもいい。
最初に右も左も分からずに撮影を始めた時の様に、まずひとつ小さな実績作りを始めたい。
その先に何があるかは全く分からない。
でもきっと、それがまた何か新しい発見に繋がると考えるとわくわくする。

今回このnoteを書いてみたことも、そんな新しいことへの一歩目だと思う。
この記事を書き上げて何を得られるかなんて分からないし、何も得られないかもしれないけれど、誰かが見てくれるなら、私の考えを知ってくれるなら始めてみようかと思った。


能力×場所の先を見たい

私はこれまでクリエイターに憧れ続けてきた結果、クリエイターが輝ける場所作りに躍起になってきた。

急にビジネスライクな話になるが、今の社会は純粋な能力主義とは言えないように感じる。
能力の高い者よりも、能力が高そうに見える者の方が優遇され易いからだ。
そんな社会を恨んでいるわけでもないし、変えたいという熱量も今はない。
しかし、本当に能力のある人が挫折したり恵まれない世界は嫌だなとずっと感じている。
それを変えるために今の会社を立ち上げて少しずつ頑張っているが、それはまた別のお話・・・

今回言いたいのは、そんな、クリエイターが輝ける場所作りに躍起になって来た自分がクリエイターになれたのだという喜びを、ただただ共有したかった。

正直言って、クリエイターってビジネスが下手な人が多いと感じる。
それは、「マーケティングに頼らなくても人に届けられるだけの作品力を持っていること」こそがクリエイターのゴールのように考えているからだろうか。
もちろんそれが望ましいかもしれないが、理想論的な答えだと思う。
多くの作品が溢れる中で、誰かひとりにさえ自分の作品に興味を持ってもらうなんてとても難しすぎる。だからこそ、クリエイターの能力を届けるための何か(場所?環境?仕組?)が必要だと考え続けている。

と、ここまでがこれまでの私の考えだ。
ただ、いま私が見えかけている景色はこれまでの私の考えと少し違う。
これからは、クリエイター自身が能力×場所を生み出すことが主流になるんじゃないかと考えている。
つまり、クリエイター自身がクリエイトしながら同時にファンを集め、そのファンと共に新しい事にチャレンジしていく形だ。
オンラインサロンの登場やNTFの発明によって、いくつか実例を挙げられるほど現実的な話ではあるが今回は割愛する。

これまで半年と少し活動してきて、ありがたいことに応援してくれる人が何人か現れた。
そしてその人達は私を評価してくれると同時に、「ああしてみたら、こうしてみたら」と新しい提案をくれる。さらには新しい事への架け橋となろうとしてくれる。
ファンが仕事を提案し、仕事を取ってきてくれて、新しいファンまで増やしてくれる。
それって最高に現代的だなと思う。

これが全て上手く回り出すのはまだまだ先だし、本当に実現するかも分からない。
けど、そうなったら面白いなと強く思う。
そのために私がしなければいけないのは、クリエイトするだけではなく、クリエイトすると同時に私の方向性について発信していくことだと感じた。
この考えに至ったことも、「あなたは何がしたいか分からない」と言ってくれた人のおかげだ。


さいごに

この活動を始めてまだ1年も経っていないが、ここまで続けてこれたのはただ楽しかったというだけではなく、見てくれてる人の存在が大きかったと感じる。
それはとてもラッキーなことだと日々感謝している。
誰にも評価されない世界で黙々と創造を続けるほどのメンタルは、私にはない。

これからも応援してもらえるように、何をしていくべきだろうか。
私は考え続けるし、みんなにも、応援すると同時にそういった事を一緒に考えてもらえたら嬉しいなと思う。

この手探り感、一緒に楽しみたいな。


今回この記事を書いて感じたのは、こういった手探り状態の情報を公開していく事って案外悪くないのではないかということだ。
これまでは確定した情報のみの公開を行ってきたが、それでは閉ざされた世界になるのも頷ける。
一緒に作り上げる形を目指すために、色々とチャレンジしていきたい。


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