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【解説】創刊サンデージャーナル  

はじめに

創作大賞には、正直なところ、意欲的ではなかった。
応募が殺到する中で、自分の作品が選出する可能性は低いと思っていたからである。ただ今回は複数の出版社が参加すると知り、とりあえず応募しようと、少し前の原稿を開いてみることにした。

こちらはいつだって足の速い人間と競争できる。そのための原稿を取り出すことに決めた。前回の応募作『虹色の塔』より、きっと読みやすく、ポップ(の定義は別として)であると思った。

少しだけ、私の読書遍歴を紹介しよう。
18才の夏に『トレインスポッティング』を読んだ。その後、ソフトカバーでアーヴィン・ウェルシュを読み漁り、当時は日本の名作にまるで興味がなかった。
他にウェルシュと同じ強い個性を持つ作家では、『浴室』のジャン=フィリップ・トゥーサン、『ザ・ビーチ』のアレックス・ガーランドなど、海外文学を翻訳で読むことが好きだった。

何か他と違う。そう感じるのは大人になった今でも同じだ。星の数ほど語られた物語を、彼らは自分の目で、その研ぎ澄まされた文章で語る。浴室から出てこない男もいあれば、タイにバックパッカーとして旅に出た青年もいた。作家が持つ個性。作家が持つ、替えが効かないもの……小説と同時期に、グレン・グールドやジャコ・パストリアス、マイルス・デイヴィス、セルジュ・ゲンスブールなど、いずれも強烈な顔、表現力を持つ音楽家にも惹かれた。
片田舎ゆえ、世界の片隅を音楽や文学を通して知りたかったのである。

解説

小説『創刊サンデージャーナル』は、4つの章で出来ている。
最初は『日曜日報』という題だった。日曜夕刊に、平日取り扱わない奇妙なニュースが掲載していると面白そう、と思った。こんなことって現実にあり? と驚くような話を考えた。

「その壱 年下の男の子」
長編『フィッシャーマンズ・ワーフ』にも登場する、謎のシェルター。ある事故から数珠つなぎに事件が起こる。過疎地域の閉塞感、子供が搾取されるクソ世の中の話。
その昔、深夜に『ツイン・ピークス』を見た。じわじわと何かが明らかになる、あの雰囲気にも影響を受けている。

「その弐 時の過ぎゆくままに」
編集バイトに関しては、実体験を基にしている。私が通ったバンタン中目黒校では、なぜかPCにウィルスが常駐していた。おかげで、データがよく消えた。HDDから、おかしな音も聞いた。悪徳会社に乗り込む場面で、昔のワイドショーと重ねる人もいると思う。滝田洋二郎監督の『コミック雑誌なんかいらない!』で、ビートたけしさんが演じた男と同じである。豊田商事事件を知ったのは、事件から随分経ってからだった。

ベルトコンベアでお中元を運ぶ倉庫で働いたことがあった。灼熱の中、京急生麦に降り、高島屋の倉庫まで歩き、長い長い一日を、決して行儀の良くない連中と過ごしている。
当然、喧嘩も起きる。だが私は元々、いい加減に仕事するタイプではない。あの時、火花を散らした奴ら、まさか小説になるとは誰も思っていないはずだ。パートの主婦にもいろんな人がいた。「大丈夫ですか?」「大丈夫です」のくだりは、実話である(何の狙いだ)。その女性は、綺麗だった。

今思うと、「重い物は俺が運びますから☆」くらい、声をかけておけば……この辺で妄想は止そう。

さて、日払い分をATMにて引き出そうとアコムに向かう。
出口の扉には、不似合いな可愛い文字があった。なるほど、これで緊張感を和らげているのかな、と思った。借りすぎには注意である。
もう10年以上の前に経験したことが、こうして役に立っている。

「その参 この胸のときめきを」
3年前の夏にnoteで公開した『N氏の休日』をそのまま掲載。小説の白眉であり、この話だけギアが上がっている。実際は一番最初に書いた話であるが、これを目玉として入れたのであった。
最後の一文、平和な日常とボケまくった世の中が、いかに素晴らしいかを込めた。お盆の頃、「ピカっと射し込んだ日の光のもと」、Nたちは束の間の休暇を過ごしたのである。もう二度と、空が急に明るくなる日は来なくていい。Nの意味、実はnuclear(核)から取っている。

『博士の異常な愛情 または~』をレンタルで見て以降、あのようなブラックコメディを目指して、ラジオドラマに書き直した。しかし、結局は小説として再び掲載することにした。  

「その四 暗い日曜日」
当初は、この話が冒頭だった。創作大賞応募のため、最後に変えた。「日曜日の夕刊」という設定を最初から知る必要はないと思ったからだ。副題とは裏腹に、楽しい一幕となっている。文学が暗くて重いなんて、冗談ではない。

さて、創刊号の売れ行きはいかに?

おわりに

今月に芥川賞の発表がある。アマゾンレビューを覗くと、最近の作品はどれも惨憺たる評価が下っている。かつての開高健氏、吉行淳之介氏、石原慎太郎氏なら、絶対に選ばれない本が選ばれている。

小説『創刊サンデージャーナル』は、400字原稿用紙換算で110枚。
noteに全文掲載した先月16日、奇しくも候補作が発表となった。もちろん、私は知らないままアップロードしている。偶然とは思えなかった。ぜひ候補作、受賞作と比べてみてほしい。この小説が文芸誌に載らない、載せたくない理由を知りたいと思っている。

楽しく読んでもらうのが一番嬉しい。一部の作家が「文学とはこういうもの」と、わけのわからない作品を選ぶ姿に辟易している。夏目漱石も、芥川龍之介も、読んで楽しい。現代文学だけ、その楽しみを奪っているのは本当に嫌である。楽しみを提供できない、したくない作家にはなりたくない。

つい先日、遅ればせながら『ファイト・クラブ』の原作を読み終えた。
もはや日本文学にカウンターパンチは必要ないかもしれない。だけど、眺めるだけの人間になるより、下手な小説を掲載した方がいいに決まっている。

最後に、ブラッド・ピットになったつもりで、宣言してみる。

その一 『創刊サンデージャーナル』について口にしてはならない