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自己紹介

今更ながら、はじめまして。このnoteではビジネスやライフスタイルを通して感じた価値観やマインドに関して、アウトプットしていきます。今回は、自身の生い立ちとどういう人間なのかを書いてみました。

長いので、読み飛ばしていってもらってかまいません。物心がついてる小学生から話していきます。

自己紹介

徳満直杜と申します。1991年8月25日生まれの28歳です。(2019年11月現在)生まれは神奈川県平塚市で、実家では2匹の柴犬を飼ってます。
幼少期は、外で遊んだりゲームをしたりするのが好きだった普通の少年でした。

小学生

三年生の時、地元ベルマーレの試合を見に行ったのを機に、「サッカーかっけぇ!」と思い、地元の少年団に入団。当時は、前園がベルマーレにいた時代です。毎日、毎日学校が終わってはボールを蹴っていました。6年生になってキャプテンになり、当時地元では敵なしだと思っていました。(自分で思っていただけですが笑

中学生

中学生になり、もちろんサッカー部に入部。思春期なので女の子が気になる年頃です。バレンタインデーになると、下駄箱や机の中をくまなくチェックしてました。そして、あっというまの高校受験。自分なりに勉強はしましたが、失敗。地元の私立高校に通うことになる。(初めての挫折)

高校生

高校でも、サッカー部に入部。入部当初にバリカンでセルフカットをした時にミスったので、坊主になる。以降、半年ぐらいは野球部に間違えられる日々。高校サッカー部は地区ではそれなりに戦えたが、神奈川のレベルは高い。
自分より上手いと思える人達がたくさんいると初めて感じ、全力投球をするもここで一旦区切りをつけた。大学受験だが、ここでも失敗。浪人を許されてなかったので、かろうじて合格した私立大学に入学することになる。

大学生

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僕の人生を変えた時期。2011年の東日本大震災が起きた当時は20歳。人生何が起きるか分からないと感じ、人間いつかは死ぬという現実を考えるようになる。友人が北海道の大学に進学したので、久しぶりに会いたいと思っていた矢先の震災だった。ボランティアに行こうと、思いなぜかヒッチハイクで北海道を目指す。これが転機となり、旅に目覚める。

そして、大学二年の春休み。友人が「東南アジアに行こうぜっ!」と言うので、ノリで行ってみた。これがいわゆるバックパッカーデビューだ。
その後、語学力を高めようと大学のプログラムでオーストラリアに4か月間の語学留学をしました。滞在先は、ブリスベンというオーストラリアの第三の都市で世界中から観光客が集まるゴールドコーストの玄関口です。週末は台湾人や韓国人の友人達と毎週のように行っていました。
そして、就職活動。15社ぐらい受けて、3社から内定をもらい、大学を卒業。

23歳~25歳

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新卒で入った会社では、法人営業のルートセールスだった。新卒であったので会社としては、育て上げて幹部にしたてあげたかったであろう。
だが、僕はそんな気はさらさらになく、課された売上目標を少し上回るぐらいの動きをしつつ、ひたすら本を読んだり自己投資をしてました。しかし週休2日取れたことはほとんどなく、15連勤の時もありました。

25-26歳

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湘南・鎌倉でシェアハウス事業に携わる。多くの人に出逢うきっかけになり、今でも交流が続く一生の仲間を得ました。当時は、鎌倉や逗子、茅ヶ崎などあらゆる場所にアドレスホッパーとして転々としていた。
また、同時に箱根でゲストハウスを展開していたので、オーナー不在時に運営を手伝っていた。その時、出逢ったゲストとは今でも繋がっています。

26歳

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事業譲渡の関係で、解散後にずっと考えていた世界一周に飛び出した。ルートは、西回りでベトナムから始まり、ブラジルから中国経由で日本に帰ってくるというルート。ほとんどその時に直感で行先を決めていました。旅中は数奇の出逢いや失敗や困難を経験しました。中でもベトナムで強盗に遭ったのと、スペインのトマティーナでスマホが盗まれたけど1か月後に返ってきたのは奇跡でした。
ちなみに、一番好きな国はエストニアです。

27-28歳

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世界一周帰国後は、兄がやっていた民泊事業を手伝う傍ら、物販を自分で始めた。民泊新法が適用されたと同時に民泊事業から撤退し、本格的にEC事業を生業にする。労働集約の事業はモチベーションを保つのが非常に難しい。しかし、ある時に売上が上がっていきました。EC事業は仕入コストをいかに減らし、効率的に販売するのがカギだ。また参入障壁が低いため、いずれ自社商品を作らないと戦っていくことは難しい。

しかし、ここで判断を誤った。少ないリソースの中で新規事業に手をだしてしまったのだ。それもマネタイズするのに時間がかかるメディア事業。
メディア事業を始めたのは、ECとの親和性が高くシナジーが生まれるという仮説から。しかし、結果的に中途半端になり僕は事業から離れることになりました。

理由は、いろいろありますが、事業をしていて事業の成長性と自社のポジション、そして自分のキャリアを踏まえたうえでの決断です。

実は、2019年10月に4年間付き合っていた人と結婚をしたのですが、まさかの結婚と同時に無職になりました。よくも、こんな人と結婚を決めてくれたものだと思います。感謝感謝。そして、人生初の転職活動を経験し無事に内定をいただきました。そして現在に至ります。

振り返ると、僕の原点は、大学時代であり当時発生した東日本大震災かもしれません。悲しい現状を目の当たりにした時、このままじゃだめだと感じたのを今でも覚えています。そして、親には本当に感謝しています。今まで本当に自由に生きてきて、特に干渉されることなく育ててくれました。

自分で決めたことだから、自分が責任をとればそれでいい

僕のおやじが良くいう言葉です。一見、無責任な発言かもしれませんが、信頼があるからこその発言と捉えてます。母は実家に帰ると、いつも美味しいごはんを作ってくれてます。何より、妻には最大の感謝です。

そして、僕に関わってくれるみんな。いつもありがとう。これからもよろしく!^^

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