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【書籍】民主主義とは何か⑤ 第二章 ヨーロッパへの「継承」_3


ルソーの社会契約論

 フランス革命を起こしたのはルソーだ、といわれることもあるが、必ずしもそうとは思わない。具体的にみていく。
 ルソーにとって、ヨーロッパの文明は奢侈と虚栄に満ちたものにみえた。人々は優雅を競うが、それは仮面の上だけで、一枚めくれば醜い利己心しかない。重要なのは、表面的に才能を誇示することではなく、誠実で堅実な徳を自らのうちに養うことだ、とルソーは考えた。ルソーは「社会契約論」の第一章で「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている」と述べた。これはルソーにとっての宣戦布告である。本来、人間が平等なものであるとすれば、現状において存在する不平等は不当なものである。自然状態の人間は、自己保存の本能と他者への憐れみをもちつつ、相互に孤立して生きている。それなのに、現在、人々を隷属させる政治制度や経済制度があるとすれば、問題なのは制度の方。いまこそ真にあるべき制度を作り出すべきだと論じた。その上で、相互に自由で平等な個人による社会契約によって国家を打ち立てることを主張。
 さらに具体的に、社会契約をみていく。ルソーによると「各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」が課題であるという。個人が他者とともにいながら、しかし一人でいる時と同様に自由であることは可能だろうか?他者と一緒ならば自由は制限されるし、自由でいたいなら一人でいるしかない、というのが通常の考え方に思う。しかし、ルソーは両立できるという。それが社会契約であると。「各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいして、全面的に譲渡することである。その理由は、第一に、各人は自分をすっかり与えるのだから、すべての人にとって条件は等しい。また、すべての人にとって条件が等しい以上、誰も他人の条件を重くすることに関心をもたないからである。」さらに、「われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめに受け取るのだ。」
 ここに謎がある。まず、自分を、すべての権利とともに共同体に譲渡するとはどういうことだろうか?また、一般意志に従うとはどういう意味か?この時点において、以下のことを確認する。
 まず、第一に、社会契約以前に『国家』はない。契約するすべての個人が、その力と権利を合わせることで、初めて『国家』を作り出す。
 第二に、重要なことは、すべての個人が他の個人と平等な条件にあるということ。えこひいきはあり得ない。条件が厳しいとすると、全員にとって厳しくなる。このような相互平等が社会契約の重要なポイントだと、ルソーはいっている。

一般意志・全体意志・特殊意志

 今でも論争が絶えないのが『一般意志』である。ルソーは『一般意志』と『全体意志』を区別している。また、個人が個人の利益だけを考えるような場合は、『特殊意志』といい、この『特殊意志』をすべて足し合わせても『全体意志』にしかならない。自分の利益しか考えない『特殊意志』いくら集めたところで、社会全体の公共の利益を目指す『一般意志』にはなり得ないからである。
 つまり、重要なのは、1人1人が社会全体の公共の利益を考えること。個人的な利益をいったん離れて、社会を構成する平等な一員として、社会全体の利益を考えることで、はじめて人間は市民の立場でものを考えることになる。つまり、社会契約とは、一人の人間としての個人が、集合的な主権者の一員としての自分と契約することである。
 このような『一般意志』の視点に立つことで、仲間である他者とともにありながら、自由でいることが可能になるとルソーはいう。すべての個人が平等な条件で立法に参画し、そこで出た結論に従うならば、自分自身の意思に一致していることになる。つまり、 自分たちの共同の意志である『一般意志』に従うことは、自分の意志に従っていることと同意である。

ルソーが残した謎

 ルソーには「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。」という有名な代議制批判がある。であれば、人々が自由であるためには選挙以上の何が必要だろうか?今の時代の我々も、しっかり考えなければならないと思う。

(続く)

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