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健康に必要な思想・信仰・身体技法

【健康な人の共通点】

僕は今までお会いしてきた人を見ていると、ある共通点があるなと思っています。それは、その人なりの「思想・信仰・身体技法」を持っているなと。

思想と信仰の違いは春木豊先生に教えてもらいました。思想は考え方であり海を容易に渡れるが、信仰は対象であり日本のように土着のものは海を渡るのは難しいんだと。

例えば、多くの日本の武道・武術の師であれば、勿論各自の流派なり武道という身体技法が中心ですが、神道という信仰を持ち、仏教という思想を共有しています。

これは武道をしない日本人にもある程度通じるでしょう。


他の思想であれば、キリストを信仰対象とし、思想としても聖書を拠り所とし、そして西洋的なスポーツを身体技法として楽しんでいる人もいるでしょう。それもとてもバランスが取れています。

逆に不健康の人と思うと、その3つの何かが足りていないなぁと感じます。

特段自分の中でこれといった思想がない。信仰対象も別にない、身体も特に動かさない。こうなると、心身が健康という状態から逸脱した場合に、元に戻ることが中々難しいなという印象があります。つまり一度不安定になると厄介ということです。

3つのバランスが崩れている人は自分というものに対して、確固たる芯がないので、「別にどうでもいい」というような投げやりになったり、逆に怖いからこそ自分の思い込みだけに固執して、他を受容できない心の狭さを持っています。

そして大いなる者とのつながりが希薄なので、疑心暗鬼になり、大切なことやものが何かがわからず、その場の状況に流されてしまいます。

【ヨガの魅力】

ヨガはそういう不安定な人にちょうどいいと言えます。思想としての教え、哲学があり、信仰対象としてのヒンズー教の神がいて、身体技法としてのヨガのアーサナがある。無信教という宗教の多い日本人にはまさにもってこいです。

知らぬ間ににわかヒンズー教になっている人も多いでしょうね。

そういう僕がじゃぁすごくその3つのバランスがいいかというと微妙ですが、足りてないことを自覚しているから、意識的に埋めようと努力している段階といってもいいかもしれません。

僕もヨガによってバランスが取れ、安定性を保てた一人です。

昔から合気道をしていたので、ヒンズー教よりは神道の方がしっくりきますが、現代の合気道には思想が抜けています。宗教性を排除しているとも言えます。植芝盛平翁はそうではなかったはずですが、、、。

ですから、合気道の身体技法を通した東洋思想は感じていますが、明確な思想は持ち合わせていません。だから、ヨガの思想がとても僕に安定感を与えてくれたんです。

ヨガは、義務教育では教えてくれない心の制御方法を思想と一緒に教えてくれます。より科学的な教えではありますが、そこに信仰的な神や自然摂理への畏敬の念が含まれ、バランスよく幸せの方向に導いてくれます。

人々が何を信仰し、どの思想をもち、どんな身体技法を選ぶかは各自の生育歴が大きく影響するでしょう。結局全て、子どもが自分で選択というよりは、親や育った環境がその子の思い込みや、世界観を先ずは作っていますからね。

アメリカには結構学校に子どもを行かせずに、各親が義務教育を行なっている「ホームスクーリング」というところも4%くらいはありますからね。宗教的な意味合いがある場合はある意味、洗脳に近い専門的教育ですね。


多様性があるので違いはさておき、3つのバランスが重要だという視点は最近は確信しています。

そいう意味で、僕の経験からもヨガは日本人にはちょうどいい緩衝役になっていると思います。GHQの支配以降、日本の霊性はかなり変わってしまったと思います。直接恋い焦がれるくらいの信仰対象がなくなったのですから。

そいう意味で、心身を超えた霊性のレベルでの健康がこれからの近代日本でも重要になってくるでしょう。少子化が止められず、GDPも上がり続ける日本で生きる上で安心安全を感じさせてくれるもの、それが必要になるでしょう。

インドの方が言ってました。「インドでは貧富の差は大きいけれど、皆幸せなんだよ。それはそれぞれいつも神がいてくれるから。お寺に行けばその日、食べることに困ることはない。その日、寝る場所がなくて困ることもない。セーフティネットが宗教的にしっかりしてるから。」と。

インドでその話を聞いて、日本の生活保護などの社会的な制度ではなく、宗教的な制度としてのセーフティネットは比じゃないなと感じました。


【必要だから存在する】

宗教にしろ、哲学にしろ必要だから色々なバリエーションが存在すると思っています。

日本に合ってる思想や信仰が、違う環境の海外でもそのままビンゴで当てはまることは少ないでしょう。そもそも、日本の仏教もキリスト教も海外のものとは大きく異なった発展をしています。

思想や信仰は、環境や地域性その地の人の歴史などがまずあって、その中で必要とするものが選択され、またその環境に適応された形で変化し残ってきたのでしょう。人はとどのつまりは都合主義ですから、自分達にとって都合のいいように物事を解釈し、形作っていきます。それは残念がることではなく、多様性という中での適応力のなせる素晴らしい能力です。

僕らの周りに存在するありとあらゆるのもは、意味があるから存在すると考えて方がいいでしょう。昆虫に多種多様な形態があるように、その存在に多様性以外の根拠はないでしょう。人だけが、自分達の狭い認識や世界観で、一つのものだけを神格化したり、原理的になるのでしょう。生物の中ではとても稀有な性だと思います。

また多様性よりもある特定なものに固執する性の背景には、実存に紐づけられた恐怖や不安がると考えています。

実存そのものが危ういから、人はその恐怖や不安を払拭するために決まりごとを定め、神を特定し、戒律を自らの社会に科すことで安心したいのでしょう。

そんな時、僕は社会学的な視点よりも、生物学的な視点の方が楽観的に、客観的に自分を含めて人を考察できるなと思っています。他の生物と比較することで、ヒトという特異性が浮き出てくるからです。

なんて変わった生物なんだろうと思うわけです。

その気づきは逆に、ヒトに愛着がわき、可愛らしく思えてくるのです。


【自分を俯瞰するときに何を見ればいいのか】

生徒さんとの関わりでも、患者さんとの関わりでも、自分自身との向き合い方でも、大切なのは俯瞰している客観性です。

そして俯瞰するときには、生物的なヒトという視点を忘れないことです。

春木豊先生は、「身体心理学」を提唱されました。現在では直接的なお弟子さんは少なくなりましたが、「ソマティック心理学」(参考:ソマティック心理学協会)などの名前で概ね同じような分野が注目されています。

生物学的な視点を春木先生は重視していました。私たちは人間という前に、哺乳類であり、動物であり、地球上の生物です。

そういった歴史や進化を鑑みることで、我々の思考や文化の傾向が見て取れます。そして、ヨガも含めて、身体または環境から心や霊性を考察することの意義も見えてくると思います。

まだまだ考察と途中ですが、人とは何か、その問いにこれからも臨床家として、実践者として、研究者として探求していきたいと思っています。


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