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ガラスのベーゴマ(ベーゴマ考61)


私が持っている約4000のベーゴマ

その中でまだ手に入っていない
戦前から戦中にかけて作られた、
いくつかの「幻」がある
•真鍮バイ
・面バイ(ひょっとこ・狗・おかめ)
・のらくろ
・ガラスのベーゴマ(ペロペロ容器含)
今回はこのガラス製ベーゴマの話


松下さんの戦争中の話

戦前もベーゴマは駄菓子屋で売っていた。
戦争の激化と共に
昭和13年国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定した国家総動員法により家庭の中の鍋や金属類を既に提出していたにもかかわらず、
それだけでは物資は足りず
昭和18年8月12日に「金属類回収令」が発布
すでに金属が出尽くした一般家庭の中で
その影響は子どもの世界にも影響し、
子どもの遊びからも金属が消えていき
駄菓子屋から鋳物製のベーゴマが消えていった。

先日、お話をきかせていただいた
松下名人の話の中にきになるコメントがあった。

戦争に翻弄される子どもと遊び
「 昭和の18年頃から空襲警報発令の回数が頻繁になり
戦争が激しくなってきました。 戦争に使う鉄は献納とゆうことになり鉄である
ベーゴマは無くなってしまいました。
・・・・・・・・
その後、陶土で焼いた 「セトベー」 とか 「ガラスベー」 に
代わり 鉄のベーゴマは駄菓子屋には無くなってしまいました。

戦争の影響を受け、
鉄という鉄が国に徴収され

ベーゴマは
•陶器
•木製
•ガラス
におき変わった。

私が認識していたガラスベーは
たしかお師匠さんの
「日本独楽博物館」にも収蔵がある
鋳物べーのそのまんまの形状のもの

某オークションサイトに去年出た子。落とせなかった


ペロペロと呼ばれる、上部に凹みがあり砂糖菓子が入ったていて、器がベーゴマになっているものだ。

http://koharu2009.blogspot.com/2015/12/blog-post_3.html?m=1

この二つは調査のためにも
実際にいつか手に入れたいが手に入らない。
ペロペロは専門のコレクターもいるため、
オークションでも値段が跳ね上がるのだ。

今回手に入れた子達

いつかガラス製のベーゴマを…
そう感じながら
ほぼ毎日オークションサイトを見て
はや20年近くなるわけだが

そのなかで
ガラス製のベーゴマがでたのは
私の記憶であれば数回。

今回、戦前から戦中のものらしい
古い手回しごま型のものが出た。

松下さんの話では

瀬戸ベーも戦局の悪化と共に消えてしまい。
次に出てきたものが「ガラスベー」であった。

深川で流通したものは、独楽のような形のものだったが、
ガラスなので削れないし、
ぶつかったら割れてしまうため、面白みにかけたので流行らなかった。

とある

というわけで、
深川でつかわれたかもしれない
と思い
ひねりごま型をゲット
パンパカパーン

実際に手に取ってみると
すぐに割れてしまいそうで
戦わせる以前の問題だ。

型に流し込んでつくったものと思われ
表面、裏面双方に関西バイの特徴をおもわせる
螺旋状でない、同心円もようがある

一つは完品である
つまんでひねるとくるくるまわるが
もう一つは持ち手のところが欠けていて
また、形が歪んでいるためか
うまくひねりごまとしてもまわらない。

形としては芯付きバイとにていると感じた。

ガラス製ベーゴマと芯付きバイ

何個か、同時期から戦中につくられたガラスのこまをみているが
手回し独楽の場合は、下部分が凸部のみ出ていて平面なことが多い。

今回手に入れたガラス製のこまは
神奈川の方から手に入れた。
戦前から戦中のものであり、
芯付きバイと同様に
下部分に斜度があるため、
ベーゴマとして使用された可能性は多いにあるといえよう

芯付きバイが
北海道や高知、愛媛など遠方で使用されたのは、ベーゴマの普及のネックの一つが「巻き方」であり、芯付きバイは、独楽の巻き方でも回せるということから、広がったと考察している。
戦争中にガラスのこの形であれば、より様々な年齢層の子どもたちが「独楽」として使用できたであろう。

戦争によって失われた工夫の余地

松下さんの記述によれば

鋳物のベーゴマが消えた後になって出てきたのが
「瀬戸ベー」と呼ばれる、瀬戸物でできた独楽。
これは、割れてしまうが、まだ加工の余地があり、子どもたちは
この瀬戸ベーを買っては、削って加工した。

瀬戸ベーも戦局の悪化と共に消えてしまい。
次に出てきたものが「ガラスベー」であった。
深川で流通したものは、独楽のような形のものだったが、
ガラスなので削れないし、
ぶつかったら割れてしまうため、面白みにかけたので流行らなかった。

瀬戸物のベーゴマは焼き物だからかろうじて加工ができたのだ

ベーゴマの魅力は
ただ回すだけではなく、
工夫する余地
「加工」
にある

完全体で完成されているのではなく
不完全な状態だから
自分の加工がいきるのだ。

運もある
角付けなどのスキルも必要だが
独楽の性能を変える加工スキルは
床の上の一瞬だけではなく
時間をかけて準備できる点である

相手に勝つためには
どうやって
加工すればいいか
この一点を子どもたちは
考え工夫した。

瀬戸ベーの加工跡は
当時の子どもたちの
「あそびの本能」の跡ともいえる

戦争は
目に見える「物」
だけでなく
合理化して
よけいなものを
とりのぞかざるを得なくなり

その結果
目に見えない大切な部分までも
こどもから奪っていたのであろう。
無論、わかっていた大人はいただろうし
その限られた物資の中で
それでも「こどもたちにおもちゃを」
と考えてくれた気もする

皮肉にも
これは
簡単に・だれでも・すぐに
できる玩具がうみだされ、
工夫の余地がなくなっている
現代玩具にも通じる。

完成された物は
綺麗かもしれないけれど
それは美術品であって
それこそ「おもちゃ」にはできない。
加工の余地がないこのガラスのこまは
美術品だなぁ。

この「未完成」という概念

「工夫の余地」という概念は
こどもに関わる環境構成にとって大切だとおもうんだなぁ。
もっと勉強したい

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