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スパイブームと007とベーゴマ(ベーゴマ考90)

ベーゴマ表記の異色物?「007(ダブルオーセブン)」

ベーゴマの表記は
野球ものであったり、球団であったり
当時のスターが出てくることが多いが
ちょっと変わり種というか
珍しいものがある

サイズは王様とよばれるサンガンベーの
一回り大きい「中王」と
「赤中」サイズにある【007】表記だ

てがかりは
この2種しかない。

一緒に出てくるのは
「アトム」
「ウルトラ」
「ゴジラ」
これらのものと
同じ時期に作られたと考えられる

もしかしたら
「早稲田」「慶應」

みんなのヒーロー
「ジェームズ・ボンド」

007の記事を書きながら、
頭の中ではむっちゃテーマソングがながれてる。

英国の秘密機関MI6のエージェントである
ジェームズ・ボンド

ボンドは「007」(ダブルオーセブン)というコードナンバーで知られ、テレビ、ラジオ、コミックストリップ、ビデオゲーム、映画にも登場している。1962年にショーン・コネリーがボンド役を演じた『007は殺しの番号』から始まった映画シリーズは、2021年現在、イーオン・プロダクションズが制作したシリーズとして24作品が製作されている。

60年台の作品を見てみよう

第1作「007 /ドクター・ノオ」(1962)

記念すべきシリーズ第1作。ジェームズ・ボンドの活躍はここから始まった!

第2作「007 /ロシアより愛をこめて(1963)

シリーズ最高傑作と名高い第2弾。007の魅力をコネリーが見事に演じる!

第3作「007 /ゴールドフィンガー」(1964)

“黄金の美女の遺体”が有名な大ヒット作。007映画の基本が完成した一作。

第4作「007 /サンダーボール作戦」(1965)


初期のシリーズ絶頂期を思わせる大掛かりなアクション・シーンが満載。

第5作「007は二度死ぬ」(1967)

本格的日本ロケが話題を呼んだ人気作。共演に丹波哲郎、浜美枝などが登場。

第6作「女王陛下の007」(1969)

2代目ボンドをレーゼンビーが演じた唯一の作品で後になって高評価を得る。

こども達のスパイブーム


雑誌「少年」は昭和42年に休刊となるが、同様に少年達に人気のあった「冒険王」の付録は、昭和40年を境に“少年探偵もの”から“スパイもの”へと変化していく。 

1962年に映画『ドクター・ノオ』(当時は『007は殺しの番号』)が公開され、シリーズ化されたことだ。少年週刊誌でもジェームズ・ボンドの駆使する数々の「秘密兵器」が特集され、アニメ・特撮もブームを追った。第3作『ゴールドフィンガー』の爆発的ヒットの影響がオモチャ産業を動かし、007映画を知らない少年達の遊びの分野にまで波及していた事が分かる。
そうして、子どもたちの間で「スパイブーム」が巻き起こり、「ボンドカー」のミニカーやら「スパイごっこ」に使う各種玩具、「スパイ入門」的な児童書が大ブレイクしたのだ。


 ’66年7月には第5作『007は二度死ぬ』の日本ロケが行われ、列島中が007ブームとなりました。
翌’67年からTVドラマ「スパイ大作戦」の放送が始まり、翌’68年からはTVドラマ「キイハンター」の放送も始まってます。

いつ作られたものか

では
同じ型と思われるものとの年代を比べて
作成年度を推測する
「ゴジラ」…怪獣ブーム 1966〜68
「アトム」…1963 アニメ放送
「ウルトラ」…ウルトラQ・ウルトラマン1966

つぎに007は
「007ゴールドフィンガー」1964 世界的ヒット
「007は2度死ぬ」1967 日本撮影ヒット

これらのことから
怪獣ブーム
アトムブーム
ウルトラマンブーム
そして
スパイブーム
にのっかかった
1967年ごろに007
ベーゴマも成立したものと感じる。

しかし
渋いなぁ

スパイ手帳がポッケからでてくるよりも
無骨なサンガンべーの「007」が
ポッケからゴロリと地面に落ちる

相手が
落ちたよ
といい、
拾って、その重さと「007」
の表記にギョギョギョっと顔を見上げる
見てはいけないものを見てしまった…

そのとき、ニヤリ
と彼は少し笑ったのだった。

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