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当たり前のような日々が明日もやってくるなんてことはなくて |信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base#04

ぼくの周りには人で溢れかえっていると思われてたり、シェアハウスなんて一人の時間全然ないでしょ?って思われたり。

実は全然そんなことはない

住人が住み始めるのが最短で6月からということもあって、シェアハウスと言いながらもいまだに一人暮らしを謳歌している。
とはいえ毎度何かあるたびに人を巻き込んでいるので毎日誰かが来てると思い込む人もいたり

一人で本を読み耽る日もあれば、酒を飲みながら映画を観る日もある。

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▲シェアハウスのことに関してはインスタグラムにて

突然人がやってきて、クラフトビール飲もうぜって日もあるけどね

そんな静かな日々も、人で溢れかえって食器の数が大変になることもこの家では当たり前のようにやってるように見えて、実はいろんな思惑の元形成されているんだ。

人を集める時も、一人になりたい時も、どんな時でもそれが当たり前にやってくるなんてことはない。
明日になって突然人がたくさんやってくることもないし、一人の静かな時間がやってくることもない。

いつもそれを望んで、期待して、考えてからそういう日々はやってくるんだ。

『家の中の片付け』というなんとも普通のことでもその思考をすることで、人は集い楽しい時間の共有が始まるんです。住むためには片付けるのは当たり前だし、なんなら一人でもできることでも誰かと時間を共有するという意味がそこには生まれる。
荷物の奥に眠る昔のものたちも大量のマッチも、大量の写真も、使い方のわからないものも、家の片付けの宿命とも言えるねずみのフンでさえも一種のアトラクションになって笑い声と思い出が生まれる。

きっと一人でその作業をしても無言でゴミ袋と段ボールに押し込めて、部屋に響くのはガサガサとゴミ袋を触る音と作業用に流すどこかのアーティストの音楽。
後になれば、なんだか疲れ切った体と何してるんだという意味のわからない時間がただ流れていき、酒を流し込んではもう疲れたから寝ようって100個の餃子を包むこともなく夜を終わらせていくに違いない

望んだ未来はいつも自分が動くことで始まるのだから、何か思うものがあるのなら、何かしたいと思うのなら、漕ぎ出すしかないのだと思う。

美味しいご飯に使わせていただきます