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悲しみで花が咲くものか、つらい努力は実らない|手と仕事 #15

努力って結局実るのか?
実る努力もあれば、どうにもならない努力もある。

つらくて苦しくて、自分の痛みに蓋をするように歯を食いしばるような努力のあとは、傷だらけの自分がそこにいたのだと思い知るのだ。

この地獄を乗り越えれば今はつらいけどこれを超えさえすればって、頑張って頑張ってどんなことも我慢して超えた先には案外普通の景色が広がっているんだ。

想像していたよりも普通で、どうやってもこの努力の対価としてはあまりに不釣り合い。

努力ってのは方向を間違えるとなにもならなくて、努力したからといって全ての人が報われることもないし、その努力の先にはなにもなかったりする。

例えばカメラの技術を上げたいと思う人が、毎日コーヒーの本を読んだところでその努力は報われるには遠すぎる。
コーヒーの種類やおいしさの秘密、産地や淹れ方を知っていくだけでカメラの技術が上がるのは遅い

人の撮影をしたいと思うのに、風景ばかり撮ってしまったり
何気ない瞬間を撮りたいと思うのに、「ハイチーズ」じゃ撮れないだろうし

おもしろい誰かに会いたいと思うのに、家でYouTubeを見てるだけじゃなにも変わらない

技術を上げたいのならもう『撮る』しかない。
自分の弱さを知りたいなら『やる』しかない。

つらい努力と楽しい努力の境界線は酷く曖昧で一度つらいだなんて思ってしまったらずっとつらくて、ぼく自身もつまらないプライドを持ってしまったが故に努力の向きを間違えては何度も実のならない努力をやってきた。

その努力の中にも時に非情に、激しく自分のことを裏切るものもあって、なにもならないこともあって、その時間は無駄だったとしても、そこに自分の力を使って辿り着こうとする時間は確実に自分の何かを成長させていってるのだろうってぼくは思っている。
挑戦し続けたからこそ選択肢が増えて、挫折したからこそ違う目を持って物事を見て、その努力は今はどうにもならなかったとしてもいつか自分のための何かに変わっていくのだ


そして『手と仕事』はぼく自身が努力をする理由と言い訳さえもスキルアップとブランドイメージの確立をしてやろう、って奮闘している。
100人を撮るということはこの期間どんなに仕事がなかったとしても、撮る機会をいただけるということでもあり、それを投稿するということはぼく自身のインスタグラムの充実度にもなっていく

楽しいと思えることをぼく自身のペースでやっていくので、それもう楽しくて、でも周りからすれば忙しそうだとか頑張ってるとか、色々意見はあるだろうけどぼくはこの『手と仕事』が好きで楽しくて、だから頑張ってるとかそういうのが実はない
百人の人に会い続けて、仕事を見続けて、いつかこの時間がぼくの財産になることをぼくは知っている。

これはいくつも挫折を繰り返したぼくが未来の自分に残す今のぼくの証なんだ。

ぼくの感性を変わるその時を
ぼくの技術が変わったその時を
ぼくの仕事を変えたその瞬間も

ぼくは100人を通して見ていく。
きっとそれは未来のぼくも見ていくことになるんだ
つくり手たちの手と仕事を通して、ぼくが変わっていく瞬間を。

美味しいご飯に使わせていただきます