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パパ活という名の援助交際について思う事

パパ活。その言葉を知ったのはTwitterで流れて来るネットニュースが最初だった。知らない言葉だったので天下のGoogle先生で即検索をすることにしました。とあるサイトにはパパ活についてこう書かれていた。

若い女性が経済的に余裕のある男性と食事などで一緒に時間を過ごして金銭を得る活動を、最近は“パパ活”というらしい

ふーん。パパ活って援助交際の事を言うわけか。妙に府に落ちた。そして胸の奥からどんよりとした気持ちになりました。

昔から援助交際は世の中に溢れている。2000年代だと女の子がネット掲示板に書き込みをして客を探していた。今はマッチングアプリを使って集客をするそうだ。どこか適当なカフェでお茶をするだけで数万円貰えたり、男女の関係になって大金を稼ぐ。こんな世知辛い世の中だからパパ活が増えるのは必然なのかも知れない。だが私は思うのですが、パパ活をすればするほど女の子は幸せから遠のいて行くと考えています。もちろん支援する側の人間も。幸せが遠のく理由は数えたらキリがないですが、少し話したいと思います。

パパ活は不幸への近道

ここで一つ読者の方に問いかけたい。中年のおじさんと一緒に数時間デートして報酬に数万円から数十万円貰える立場だったら、普通の仕事できますか?

お金を貰える条件はそれなりのルックスとコミニケーション能力、そして何といっても"若さ"があれば誰にでも出来る。お金を楽に稼ぎたい人間にとってはこの立場は正直おいしいだろうから首を縦に振る人も多いでしょう。美味しい物を奢ってもらえて、プレゼントも貰える。その上報酬まで貰えたらこの世にある一般的な労働は全てバカバカしく思えるだろう。道楽の延長でもらったお金というものは自分の身になりづらい。将来の計画性があっても不思議な事にお金は貯まらず服やアクセサリーなどに姿を変えてお金は飛んで行く。また稼げば良いと短絡的な思想から来る気の緩みが原因で財布の紐が緩んでしまう。いわゆる散財癖が付きやすいのです。そして、このパパ活が原因で一般的な交際に物足りなさを感じます。

お金をもらって一緒に居るのが当たり前。奢ってもらえるのが当たり前。お金をもらって男女の仲になるのが当たり前。この当たり前が続くと物事に感謝するという気持ちが湧かなくなり、何をやっても空虚な気持ちになる。これを不幸と言わずなんと言うのだろうか?何の偶然か同じ時代に生まれ、好きな人と一緒に居る時間に損得勘定の念が生まれてしまってはなんとも寂しい話です。

世の中はクズばっかだから用心に越した事はない

そして、世の中にはお金があれば人の気持ちですら買えると思い込んでる人間だけではなく、人を騙して支配しょうとする醜悪な人間も存在している。

例えばこうです。口でした約束を守らず、一連の行動を写真や動画に記録して世間に公表すると脅し、自分の手駒にしょうとする反社会勢力の人間もいます。既婚者であることを黙って交際した挙げ句パートナーから多額の慰謝料をパパ活女子に請求する場合などリスクは考えれば考える程出てくる。人を騙すなんておかしいと声を挙げる人もいると思いますが、援助交際を支援する人間に仏のような善人はまずいません。前文で書いたように醜悪な人間が圧倒的な多数を占めているという事が現実なのです。

まとめ

長々と私が今パパ活について思う事を書かせて頂きました。人には色々な状況と立場があり、どうしてもお金が欲しい人や心の寂しさを埋めたい人もいるかも知れません。ですが、ノーリスクに思えるおいしい話ほどハイリスクで危険な物はありません。一度手に染めてしまえば麻薬の様にその快楽が忘れらくなります。そして心身共に自分が知らない内に壊れて行く事でしょう。実際に援助交際をやってる子を何人も見てきた私は幾度となく気の毒な気持ちになりました。彼女達の事を知らずに綺麗事を言うなと怒られてしまうかも知れませんが、素直な気持ちとして彼女達には損得勘定抜きで思いやりのある人間に出会える事や自分自身の人生に投資し幸せになる事を願っております。

以上でこの文を締めさえて頂きます。お読み頂きありがとうございました。




記事を読んでくださりありがとうございます。