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組織の限界はトップで決まる

私の仕事は経営者やマネージャーの悩み事を聞いてなんとかすることだ。

最近はDX・デジタルトランスフォーメーションみたいなワードをとっかかりに相談を受けることが多いんだが、短的に言うと「経営の意思決定をアップデートしないと無理じゃなかろうか」みたいな行き詰まりを抱えている現場は多い。

組織のトップを変えることは難しい

経営者やマネージャーは、部下をなんとかするのは得意だが、自分たちをなんとかするのは苦手だ。

これは決して能力不足とかではなく、人間は自分自身は客観的に観察できないので、どうしてもバイアスがかかってしまう。そもそも認知モデルとしてそういうことが得意なようにできていないということである。

組織は成長すると特化し、一方で多様性を失う

組織は人の集まりなので、一人ではできないことも複数の人間が補い合って能力を発揮する。集団の組織能力が個の能力の総和を超えることを創発的知性というらしい (雑)。

組織ができあがったばかりのころは、多様な人間が集まるので可能性は無限大だ。だが、多様であるがゆえに足並みが揃わない。

そこで組織は環境に合わせて適応的に人材の取捨選択を行い、環境に最適化してゆく。要するに特化していく。

例えば、営業会社によくある数値目標達成に特化した体育会系の文化。エンジニアの組織によくある遊びや興味から生まれる発見をビジネスに変える風土。

こうして細分化された領域に特化した組織ができあがっていく。このような組織は得意とする領域におけるビジネスで高い再現性と効率性を実現する。

特化した組織が崩壊するのは外部環境が変わったときだ。

特化による成長とその限界

組織の最上流である「経営陣」が有する認知を超えた先に、意思決定の落とし所をもっていくのは不可能である。それは、選択肢の増加に伴って無尽蔵に増大するリスクと、組織アイデンティティの危機が同時に訪れるからだ。

そしてこのタイミングで、「経営の意思決定をアップデートできるか否か」が試される。

最近の経営理論では、再現性と独創性、異なるパラダイムを持った事業をポートフォリオ的に管理することでこの限界を突破できるという示唆が注目されている。要するに、プロダクト・ライフサイクルと同じ様に、ビジネスモデルや事業のライフサイクルをマネージする視点・エコシステムを持ちましょう、ということだ。事例としては、IBMのEBOや、Amazonのイノベーションの歴史が挙げられる事が多い。

これらの高次元なパラダイムは、いずれも組織から創発的に生まれたものではなく、ガースナーやベゾスといった高度な認知機能をもった (と思われる) トップが組織という生物の「脳」が、組織という「体」に神経を伸ばし埋め込まれたものである。

一方、独コンチネンタルのような欧州企業はM&Aと並行して経営陣の入れ替えを行い、業態変換を伴う「意思決定のアップデート」が得意な印象がある。

個別の実態はわからないが、経営トップが持つ高次の認知を発端として、それが仕組み化され、文化やルーティンとして再現性を持つ、ということは考えられそうだ。

まとめ

実体験として、少なくとも以下の点には納得感がある。

・組織が複数の異なるパラダイムを内包しマネジメントすべき時代である (特化型組織の構築・代謝スピードをパラダイムシフトのスピードが上回るから)
・原初の組織が有する認知能力の限界はトップによって決まる
・高次の認知能力は組織能力として再現性を高めることができる

意思決定のステージが変わることによる組織の変態は、外から見ると幼虫から蛹、そして蝶へと変わる変態のようでもあるし、計画的に培養され進化するシミュレーションの箱庭のようでもある。

このなんとも形容し難いダイナミズムをうまく説明できるようになったとき、コンサルタントとして意思決定のアップデートを導くことができる道筋も見えるのだろうか。

まだまだ修行が必要だなぁ。

終わりに

昼間、某グローバル企業の副社長を務めた人物と会食させていただく機会がありその方の勉強熱心さに感心した。同時に、現在はコンサルとして活躍するその方の支援先経営者が「自分が変わらないといけない。私はあなた以上の情報を持っているけれども、その解釈と、そうなる理由を解き明かしたい。」といって熱心に学ぶという話を聞いてこれまた感銘を受けた。

学ぶ心、学ぶ姿勢があれば人間いくつになっても、どんな立場でも成長できるものである。人の上に立つ影響力のあるリーダーが謙虚にそして貪欲に学びを続けるという話を聞き、自分自身も身が引き締まる思いがし、こんなメモを残しました。

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