見出し画像

友へ。

手紙をありがとう。

就職をされたんですね。
君が、ずっとやりたかっていた調香の仕事か。
本当におめでとう。
君なら一流の調香師になれるとおもいます。

これからこの国では、若い御婦人方に喜ばれるものこそが、市場でどんどん求められるんだろうね。

職を持ったということは、君、麗しいBetter Halfと所帯を持つ日も近いんじゃないか。
全く、君ほどの果報者を僕は知りません。

僕は、ご存知の通り、相変わらずサナトリウムに入っております。

薬の量はだいぶ減ったものの、主治医がいうには、一生付き合っていかねばならぬ病との由。

一生付き合うも何も、生きてゆくという事は、地獄の火でジリジリ炙られ続けられるようなものだと、僕も、おそらくはドクトルも身に沁みてわかっているのだろうから、苦笑してしまうが。

その上、僕はこうやって若い身でありながら、母親や妹たちに負担ばかりかけている。
情けないことこの上ない。

いっそ病室の梁で縊れて、この身に始末をつけたいのですが、このオンボロさでは、僕がお国替えをする前に梁の方がどうにかなりそうだ。

君が案じてくれていた肺の方は、そういう訳で、まあ、騙し騙しやってゆけそうなのだが、神経の方が、どうもあまり芳しくないようです。

心配には及びません。

多分、あと一週間もすればまた退院出来るし、今は季節が何と言っても素晴らしいですから。

病室の窓から、小さな可愛らしい中庭が見えるという話は以前にしたと思います。

植物の名前に疎くて恐縮なんだが、白い小さな花が、丁度ここから見ると星を散りばめたように咲いていて、ラベンダーらしきものも紫色の帽子を五月の風にそよがせている。

その様子がささやかな慰めになっているんだ。

花たちをそうやって、遠くからぼんやり眺めていると、なぜだが、善い人間になりたいと心から祈る気持ちになります。

僕は、恥ずかしながら、信仰心というものをとんと持たなかった人間だが、それでも、そう強く静かに思います。

善きひとになりたい、と。

ついこの前の戦争のずっと前(それははるか太古の昔みたいに思えるが)、まだ君と学校やらカフェーで様々の話をすることが出来た頃のことを、最近よく思い出します。

その頃から、今までずっと、君に対してこれだけは言っておかなくてはいけないということがありました。

直接顔を突き合わすと、決まりが悪くて恥ずかしく、まともに話せないと思うから、こうして筆をとった。

君は、こう言ってはなんだが、大して男ぶりのいい奴ではない。

学業はまぁまぁだが、博士になるほどでもない。
性格も、目を瞠るような特性があるわけでもない。
肉体も、まあ、平均的でとりたてて立派というわけでもない。
良きにつけ悪しきにつけ、君は目立たぬ、普通の男の見本みたいな奴だ。

怒って、便箋を破いたりしないでくれよ。

だがね、僕は、君のその君らしさ、君を君たらしめているものの中心にあるもの、核と言ってもいいし魂と言ってもいいかもしれないもの、それが、なにより尊いものだと思うのだ。

君は、心の中に占める暴力的性向の割合が極めて少ない人なのです。

僕のために見舞いに来てくれる、他の級友たちに比べても。

自分に、よって立つべき何かがある、と確信している奴というのは、知らず知らずのうちに触れ合う人間に何かしんどいものを強いる。

例えば、金
例えば、名誉
例えば、社会的地位
例えば、才気
例えば、弁舌の巧みさ

そのような一見、宝にもみえるものというのは、扱いをこれでもか、というほど気をつけねば、周りに、傷付く人間を沢山拵えてしまうものなんだ。

他者に何かを強いてしまう力は、文化だとか技術を推進する起爆剤にはなるのかもしれない。

しかし、僕は、心から、君の何もなさこそが、この世界で真に尊いもの、得難いものだと確信している。

他者への優位性を誇示し続けなければならない者たちは、君のような人間を見下し、利用しようとする。

しかし、君は一度も温和な態度を崩さなかった。

君と過ごしている時間、僕は一度も、肩の凝るような窮屈な想いや、思想信条を半ば強制的に捻じ曲げられてしまうような或る種の恐怖を感じたことがない。

それは、君がいつも、君本来の姿のままで僕に接してくれたからだ。

勿論、君は菩薩でもなんでもないただの騒がしい一学生に過ぎなかったし、怒っている顔も見たことはあるが、それでもやはり、君は稀有な人間だ。

僕は知っての通り、仲間内でただ一人、戦地に赴くことも出来ず、国の為になに一つ成せなかった。

弱音を吐くようで悔しいが、このことが、僕のなかの屈折を更に悪化させた気がする。

死んでいった奴らが、目に見えぬ霊となって、僕に毎晩自死を迫る。

帰還した君が、あまりにも君のままであったことに、僕がどれほど驚き、嬉しかったか想像もつきますまい。

死地をくぐり抜けてきた君が、君の核を損なうことなく帰ってきた。
そのようなことが、起こりうるのだろうか。

起こりうるはずがないと思いながらも、その奇跡を目の当たりにして、僕は、本当に君は強い男だと感嘆せずにはおれませんでした。

いつも通り、僕に何一つ強いることなく、淡々と接してくれる君を見ていて、僕は暗く長い時期にようやく光を探すための準備が出来そうな気持ちになったものです。

ありがとう、と言わせて欲しい。

君は、確かに並大抵の人間ではない。

君がどれほどの残酷な光景を見、辛い経験をして傷付いたのか。

君は、何もさとらせぬように、なんでもないことのように話してくれたが、訥々とした語りを聞いているだけでも、こみあげてくるものがありました。

それでも君は帰ってきてくれた。
君を、必要とする者たちのもとへと。

おそらく、僕はあと五十年、否、三十年先の、この国を見ることは叶わないだろう。
叶えられないということに、正直、安堵する気持ちもある。

この二日ほど、奇妙に気にかかる夢を見るんだ。
文明の進んだどこかの国で、非常に恐ろしい病が流行る。
為すすべも無く立ち尽くす人々。
お互いを見張り、責め合う民衆。
物資も薬のアンプルも足りない状況が続き、死者は増え続ける。
医師の数も足りず、入院できなかった者たちが死んでゆくなか、人々は立場の違う相手を責め合うばかりで、協力し合うことをせず、状況はどんどん悪くなってゆく…。

もう戦争は終わったのに、こんな下らない夢をみるなんて、と君は笑うでしょうね。

僕の妄言はさておき、どうか君の裔が、たくさんの幸せを得ることが出来ますように。
百年後のこの国がどうなっていようと。

願わくば、君のような人が増えているといい。
馬鹿にされても人を攻撃したりせず、静かに、自分の信念を守っている君のような人が。

今日はだいぶ、気分がいいんだ。
咳も出ないし。

ねえ、君、君はしあわせとは何処に在って、どういうかたちをしていると思いますか。

僕は、しあわせというのは、そんなに高い場所にはないと思うのだ。
そして、驚くほど小さく、頼りないかたちをしているように思えてならない。

例えば、いつも中庭で日向ぼっこをしているじいさんがいるんだが、その足元にうずくまって舟を漕いでいる猫のような。
じっと目をこらしていないと気付かぬし、気付いて捕まえようとすれば、気まぐれにスルリと逃げてしまうような。

ただ、それは短い時間でも、確かに在った。
僕はそれを忘れないようにしようと思うのです。

そうすれば、神様のような存在が、きっと良いようにしてくださるに違いないと思います。

こうして、君に宛てて手紙を書く事で、僕は自分を慰めている。
はかない行為かもしれないが。
少しでも、君のような人間になりたいと思う。
あと少し、赦されている時間があるのなら。


今度会うときには、紫陽花が見頃でしょうか。

どうか、お元気で。




この記事が参加している募集

スキしてみて

•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶