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魂を待つラス・メニーナス

パク・ミンギュ「亡き王女のためのパヴァーヌ」
を読んだ。
「彼」と「彼女」と「ヨハン」のものがたりであり、この世とあの世のすべての気高い魂の為のものがたりでもある。

昔、二人の芸術家が、或るひとりの王女をモティーフに
一人は絵画を
一人は音楽を
つくった。
ベラスケス「ラス・メニーナス」(侍女たち)
ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」

である。

女性というのは皆、「王女」と「侍女」とに分かれるように思う。

月のオモテとウラのように。

学校や会社では「侍女」だけど、家では「王女」というひともいるだろう。
逆もまた然りだし、

一生を、何処でも王女として傅かれる幸運な人もいれば
一生を、何処でも侍女として密やかに終わる人もいる……。

見た目や資産で他者を振り分け、レイティングし、自分より上か下かを判断する。
王女は下の人間を従え、侍女はなるべく高い地位につこうと奮闘して…。

そのことを特に悪いことだとも良いことだとも思わない。「ヨハン」がいうように、人間てのはどうしようもない生き物だし、どうしようもないことで他人を断罪して傷付ける。
でも、そういう人間の駄目さを愛おしく思う瞬間があるほどには、もはや特に若くもない私、ある程度生き延びてしまった私だから。

だけど、この本の登場人物たちは、皆それぞれの闇を抱えながらも、悲しくなるくらいにきれいなままだ。
雪解け水とか、象牙色のバニラアイスとか、クラックだらけの鉱石とか…
この世ではあまりにも存在を保つことがムズカシイ人たち。
澄みすぎていて、柔らかすぎていて、あるいは硬すぎていて…。

人間は、魂を持っている。
或いは、身体に魂が追いつくのを待っている。
ベラスケスの絵に描かれた侍女たちは、どうだったんだろう。
願わくば、彼女らが誇り高く生きて死んだと、誰かを愛し愛され、その体には気高い魂が充溢していたと信じたい。
魂が抜けてしまった生きている死体を見るのは、余りにも憐れで辛いから。

誰かの王女で、誰かの侍女であるわたしたちには、
自分自身の人生に対して自力で出来ることは余りに…余りに少ない。
死ぬほど勉強して?死ぬほど働いて?死ぬほど美容に気を遣って?
それで得られるのは、いったい何だろうね。
わからない。
本当にわからないけど、きっと私もまたそういう生き方をしばらく止められそうにない。

だから月の裏側から届いた手紙を、何度も何度も繰り返し開くように、この本を読み返していきたい。
大事なものを失いそうになったとき、アミュレットのように祈りと共に頁をめくりたい。

ありがとう、愛しています。


その言葉を愛してくれた人に返せるように。
いつか自分のフィラメントが誰かを輝かせることが出来るように。

こんなこと言う私は甘いのだろう。
甘くて構わない。
見せびらかす為の宝石よりは、愛されるガラクタに
ダイエットの為に食べてもらえない高級食材よりは、笑顔と共に食べられるアイスクリームになりたいのだから…。


この本を私たちに届けてくれたパク・ミンギュさんに最大級の感謝と愛を捧げたい。




•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶