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「マイルドヤンキー化」「意識高い系化」貧困から逃れる選択肢。。。いやぁだぁ。。。

今日はちょっと貧困について考えてみた。人の一生を事業と考えその資本の種類ってどんなものがあるだろう???資本って「価値を生む仕組み」。。。この価値を生む仕組みを持っている人がゆとりのある生活ができる。

「金融資本」お金や証券とか、「固定資本」不動産や車とか、「人的資本」スキルや技術とか、「社会的資本」家族や仲間とか。。。こんな感じだろうか。。。親の七光がなければ「金融資本」「固定資本」は持ってない。。。「人的資本」「社会的資本」で生きていくことになる。働く中で「金融資本」「固定資本」を得ていくって感じかな??

もう少し「人的資本」「社会的資本」を説明してみる。人的資本とは学歴や資格などをはじめとするその人自身の 能力。社会的資本は家族や仲間などのプライベート なものから企業などの組織、さらには自治体や国などのパ ブリックなものまで多種多様なコミュニティのこと。

この「人的資本」「社会的資本」の2つが充分にある状態をリア充って言う。。。ついでに「人的資本」しかない状態、つまり能力は高いがコミュニティがない状態(仲間や家族がいない状態)がソロ充。。。「社会的資本」しかない状態、つまりコミュニティには恵まれているがスキルや技術、その他の能力がない状態はプア充って言うらしい。。。

まず、生活する上でリア充であるにこしたことない。。。人的能力が高いから賃金が高くなるのは当然のこと。能力の高さがあるうえ、コミュニティに恵まれていれば信頼は当然厚くなり、さらにコミュニティの輪が広がる!!!結果、金融資産や固定資産にも恵まれて、最高の人生を送ることが可能。

では、リア充じゃなければ幸せでないかというとそういう訳でもない。ソロ充だったとしても、その能力の高さを活かして他の資本を得る努力もできる。また、人的資本が高ければ社会的資本が希薄だとしても自分の能力で生きていくことができる。

プア充もしかりで、そのコミュニティを活かして他の資本を得る努力ができる。また、社会的資本が高ければ人的資本が低いとしても他人と助け合いながら生きていくことができる。

問題は人的資本と社会的資本の両方が低い場合。。。多分。。。貧困が待っているじゃないかと思う。まあ、一生暮らせる程度の金持ち家庭に生まれた幸運があれば良いけど。。。そうじゃないと。。。キャーって感じ。。。

人的能力があれば良いけど、そうでない場合は社会的資本を持ちコミュニティの一員 となることは必要最低限。

家族・親戚・仲間 などの基礎的なものをベースにしながら、企業・組合などの組織的なコミュニティ、さらには町内・自治体・国など のパブリックなものまで人は様々なコミュニティに所属し ながら生活を送っている。

貧困の多くは、このコ ミュニティから疎外されることが原因に。。。先進諸国で は社会的な資源である就労場所には事欠かない。また、家族や親戚・仲間が強い絆で結ばれていればその構成員が貧 困の道に走ることを許さない。自分がしっかりとコミュニ ティの一員となっていれば貧困の声を聞くことはないはずっ!!!

でも、日本では、高度成長期から続く企業組織社会への依存が、家族や親戚、地域など、むかしむかしからあったコミュニティを破壊した。企業というコミュニティが「年功序列」「終身雇用」なんていうニンジンをぶら下げ、企業中心のコミュニティが最も重要な社会に作り変えたんじゃないかと思う。

その後「年功序列」「終身雇 用」など企業が保証した社会的資本が崩壊し、企業という コミュニティに属することがセーフティネットを保証する ものではなくなった。。。残念だけど妄想だったんだと思う。。。

そのため、現状のシステムの中で私 たちが考えるべきことは、誰にも負けない人的能力を身につけること。。。それが出来なければ、社会的資本を失わずに生活を営む方法を自身で見つけだすこと。。。

世の中自己責任なのね。。。じゃあ私が選べる選択肢は。。。今住んでる地方都市で地域のコミュニティを大切に生きるマイルドヤンキー的生活か??人的能力を磨き続け能力を最大化する意識高い系生活か??(なんか両方ともイヤ。。)

他の生き方ないのかなぁ??それが問題だぁ!!!