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昭和のノスタルジーに浸り、その頭で福祉ビジネスを考える??

日本型CCRCって??

ノーマライゼーションを実践する日本型CCRCと呼ばれる福祉の形態。。。「シェア金沢」や「富山型ディサービス」高齢者と未就学児、障碍者と学生がそれぞれできることを行い支えあう形で高齢者や障碍者の生きる力を創るんだってゼミで教わった。。。でも。。。これって。。。昭和の世界を令和の現在に人工的に作ったモノって感じる。。。

昭和の世界を顧みる

昭和の田舎の姿。小学校区で公民館が設置され、地域の祭りや運動会など行事がてんこ盛り。夫婦にこども、じいちゃん、ばあちゃんさらにはひいばあちゃんまで、みんなが同じ屋根の下でごちゃまぜ状態。年をとっても周りに誰かがいて、孫の子守で大忙し。集落で生まれてどこにも行かず、集落の中が終の棲家に。。。これが、日本の昔の姿、肩を寄り添えあってという感じとは思うのだけど、豊かな生活ではなかったとは思うのだけど、この生活に幸せがあった。。。そんな気がする。。。

この昭和な感じをディサービス施設などの福祉施設で行うと、日本型CCRCと呼ばれる福祉の形態が完成っっ!!!この形態が貴ばれる今の日本って??

今の日本の問題点

原因は、こんな幸せを捨てた首都圏一極集中化による核家族化。。。置いてきぼりになって老人たちのみが残る田舎町。急速な経済成長の必要条件としては致し方なかったこととしても。。。豊かにはなったが、昔からあったコミュニティは破壊され、コミュニティに入れない皆から必要とされない人たちが、都会にも田舎にも溢れ。。。今あるのは、一極集中で疲弊し問題が山積みの日本の田舎の集落.。。。ってなかんじかなぁ??

コミュニティに所属し、誰かから必要とされることが、人が生きるうえで最低必要な幸せと思うんだけど。。。誰かから必要とされていないと生きていけないと思うんだけど。。。それ考えると「必要とされる」が次世代福祉のキーワード。

今後の日本の福祉の在り方

この考えを、集落全体に行き渡らせ、集落全体をディサービス施設と考えてみる。さらにディサービスの概念捨てて、物流や小売・交通などのサービスから農業のお手伝いや保育・福祉のお手伝いなど、集落に必要な機能をすべて網羅する組織を創る。。。福祉として一つの組織が全部やれば、採算をとることはさほど難しくない。。。「必要とされる」が福祉のキーワードなら、できる人ができることをやるこのシステムっていけるかも!!高齢者の健康や利便性、やりがいを創る。それができれば、集落を終の棲家にすることが可能と考えるんだけど。。。

買い物という日常のエンターテーメントを家の前で体験できる移動スーパー。店員さんと何気ない会話を楽しむ。さらには、荷物のお届け、郵便物のお届けも店員さんがやってくれ、たまに、街に買い物に連れて行ってくれる。でもそれだけじゃない。集落の畑は子供や障碍者がお手伝い。作業を教えるのは高齢者。

公民館は学童保育や保育園。さらには障碍者ディサービスを併設し、高齢者が保育士や介護士のお手伝い。子供や障碍者は集落の高齢者の家にも訪問し、皆で遊んだり話したり。支えあう集落が出来上がり。住み慣れた我が家が、住み慣れた集落がそのままディサービス施設に早変わり。

こんなシステムが「過疎化と高齢化の進む集落群と買い物・福祉医療等の拠点地域を効果的につなぐ」ものにならないかなぁ???